プロローグ

夜の街 8

  校庭の隅、タイムカプセルを埋めた目印に置いた石に苔が生えていた。卒業して約2年くらいしか経っていないというのに、随分時間が経ったように思える。
 「……何だ、涼も呼ばれたのか。てっきり、俺だけが五月ちゃんに呼ばれたかと思えば」
 背後から聞こえてきた少しがっかりしたような本宮の声に、涼は少しふて腐れた。
  (それは俺のセリフだってーの。ってか、五月ちゃんだと? 馴れ馴れしいにもほどがあんだよ。お前が友達じゃなきゃ、殴ってるとこだ。ってか、今すぐ友達やめてぇ)
 内心はそんなある意味で殺意に近い悪態をつきながら、涼は平然と言葉を返した。
 「悪かったな、期待を裏切っちまって」
 「冗談だって。お前の恋愛の邪魔をするつもりはねーから」
 本宮のそんな言葉に、彼はどこまでもポジティブな思考の持ち主、非常におめでたい奴だと涼は改めて思った。本宮は今の涼とあゆみとの間に恋愛が成り立つと本気で思っているらしい。その成功率が限りなくゼロに近いと分かっていても、本人が少しの可能性があると信じている限り、アプローチに全力を尽くす、それが本宮のポリシーなのだと言う。しかし、今までそれで本宮に彼女、親しい女友達が出来たという話を聞かない。だが、それでも本宮は諦めない、挫けない。失敗が予測されることはやらないようにしている涼にとって、そんな本宮が少し羨ましかったりもすることがある。本宮のように少しの可能性であれ信じられていたなら、あの日、あゆみに酷いことを言わずに済んだかもしれない。
 「自信持てよ。お前の場合、女なんて選り取り見取りだろ? ちらっと見りゃ、女の方から寄ってくるわけだし」
 本宮のその言葉に悪意がないのは、純粋な励ましの言葉なのは涼も理解ってはいる。だが、それは涼の心に容赦なく突き刺さる、無数の抜けない針だ。女たちが涼に寄ってくるのは、彼の恵まれた容姿に加え、鳴沢家という後ろ盾が目的だ。女たちが追い回すのは、鳴沢家の跡取り息子で多少容姿に恵まれた涼という上辺だけの存在であって、本当の彼、その内面については全く意にも介さない。
 「……ふん、別に女どもは俺自身に興味があって寄ってくるわけじゃねーから」
 「あ……悪い、んなつもりじゃ――」
 「別に気にしてねーけどさ」
 涼の声が微かに暗い影を帯びたことに気づいたのか、本宮が少し済まなそうな声で詫びた。本宮には悪気がない。だからこそ、その謝罪の言葉すら痛い。だが、それを表に出せば、本宮は更に謝るだろう、そんな奴だ。
 「えっと……鳴沢君と本宮君、お話、終わりました? 」
 次の瞬間、おずおずとした幼げな声が二人の背後から聞こえた。本宮はぱっと振り返ったが、涼は振り返ることに躊躇いを覚えた。涼の記憶の中の五月 あゆみは背丈の低い、黒髪の可愛らしい少女だった。聞こえてきた声はあまり変わっていなかったが、この2年の歳月で髪の毛が茶髪になり、派手なメイクをしているかもしれないと、恐れたからだった。思い出を現実は時に残酷なほど裏切る。それが理解っていたからこそ、涼は躊躇った。
 「あのぅ……鳴沢、君? 」
 「わ、な、何だよっ」
 不意に先程の声が前から聞こえてきた。どうやら、涼がこちらを向かなかったので、前に回り込んできたらしい。
 「……あ、あのぅ、鳴沢君。お、怒ってます、か? 」
 どこか不安げなおずおずとした声に、涼がおそるおそる視線を向けると、そこには少し髪は伸びていたものの、彼の記憶の中の姿とあまり変わらない、あゆみが不安げな表情、いや、今にも泣きそうな表情で立っていた。
 「……は? お、俺がな、何を怒ってるって」
 「いえ、あの、葉書の連絡欄のことです……」
 あゆみは申しわけなさそうにそう呟くと、ぴょこんとその小さな頭を下げた。
 「ふぅーん……って、な、何で、んなこと」
 涼の脳裏にまたまたお節介の佐山と峰谷の顔がちらつく。どうやら、どちらかのお節介が何も書かれていなかった連絡欄に、涼が落胆していたことをあゆみに教えたらしい。
 「……べ、別に。ってか、何で謝るよ? 謝るくらいなら、最初から――」
 謝られてほっとしたような、逆に苛立つような、そんな複雑な感情が涼の胸で渦巻く。
 「いえ、あの……『わざと』じゃないんです。その、鳴沢君のも含めて、連絡欄に色々と書く前にポストに投函されてまして」
 あゆみの話によれば、家族が郵便局に行くついでだからと、机の上にあった葉書を全て勝手に出してしまったらしい。正直な話、言い訳じみた説明だったが、涼はそれを信じることにした。根拠はなかったが、あゆみは嘘を言っていない、そう信じたかったからだ。


<< Back   Next >>