プロローグ

夜の街 7

  同窓会前日、涼は約3ヶ月ぶりに実家に帰った。涼の久々の帰宅に、両親や使用人たちは泣いて喜んでいたが、彼にとって、そんなこと、本当にどうでもいいことだった。実家に帰った理由は、ただ、実家が同窓会会場になる小学校が近かったからだと言ったら、きっと、また別の意味で泣くだろうなというのは、涼も理解ってはいた。だから、言わなかった。別に泣かれることに罪悪感があるわけじゃなくて、その後にひどく厄介なことになるような、そんな気がしたからだった。
 「涼っ、久しぶりにチェスをしようじゃないか? 」
  涼が自分に与えられた部屋でくつろいでいると、父親の治彦がまるで子どものようなはしゃぎっぷりでチェス盤とともにやって来た。
 「却下」
  しかし、涼のそんな言葉で一蹴されるような治彦ではなかった。
 「なら、ワシに勝ったら、何か欲しいものを買ってやるぞ」
  しかし、そんな治彦の子どもだましな甘言に心が動くような涼でもなかった。
 「いや、欲しいものは自分で買うからいい。ってか、もうそんな年でもねーさ」
  すると、治彦はごそごそと懐から一枚の写真を取り出した。ほんの一瞬、その写真の裏に何かが書かれているのがちらりと見える。治彦は自信満々でその写真を涼の鼻先に突きつけた。
 「な、ならばっ……この娘のメルアドと番号でどうだ? 」
  写真に写っているのは最近売り出し中のグラビアアイドルだった。どこの世界に息子の女遊びを助長する親がいるんだと、涼はうんざりとした表情を浮かべた。実際、父親に心配されるほど、女にも金にも困っていない。だいたい、その写ってる女とも別ルートで知り合って、もう散々遊んだ後だ。まぁ、あちらは関係を続けたかったみたいだが、涼の方が飽きてしまい、さっさと切り捨てたクチだ。
 「涼様、ちょっとだけお相手をして差し上げてはいかがでしょうか? 」
  不意に側で控えていた、世話役の峰谷がそう提案した。ここで断り続けて延々と居座り続けられるより、さっさと勝負にケリをつけてご退出願うのが賢明だと言いたいらしい。
 「仕方ねーな……なら、1回だけだぜ」
 「ホントか」
  治彦が嬉々として駒をチェス盤上に並べようとした時、不意に涼の携帯が鳴り出した。
 「悪りぃ……」
  別に悪いとは思ってもいないのだが、一応治彦にそう声をかけ、涼は彼に背中を向けた。ディスプレイには見慣れない、家電らしき番号が表示されている。普段の涼なら、そんな怪しい電話には出ない。だが、何となく出なければいけない気がして、涼は通話ボタンを押した。
 「はい、もしもし? 」
 「え、あ、あの……な、鳴沢君の携帯、ですか? 」
 「ああ、そうだけど……誰? 」
  電話の声はどこか幼げな子どものものだった。質の悪い悪戯電話かと、涼は微かに眉を顰めた。もしかしたら、その雰囲気が受話器越しに伝わったのかもしれない。
 「えっと、あの、ごめんなさい。つい、うっかりしてて、名乗るの忘れてました。えっと、あの、私、五月です。し、小学校で一緒だった、五月あゆみ、です」
  声の主は怯えたような声でおずおずと自分の名を名乗った。
 「え……」
  声の主の正体があゆみだと判明した次の瞬間、涼は石化した。いや、それでも思考回路だけは動いていた。何故、五月が自分の携帯の番号を知っているのか。脳裏に浮かぶ、背後の峰谷、悪友の佐山の姿。この二人は妙にお節介なところがよくよく似ている。
 (あのお節介コンビめ……絶対、後で俺をからかうつもりだな)
 「な、鳴沢、君? 」
 「あ、聞いてる、聞いてる」
  涼が黙り込んでいることに不安を覚えたのか、あゆみがおずおずと名前を呼ぶ。涼は普段よりは幾分かうわずった声で返事した。ただ、それはやはり傍目から聞いていれば、非常に無愛想かつ不機嫌そうな声ではあった。
 「で、何か用? 」
 「いえ、私こそ、急に電話してしまって、すみません……えっとですね、ちょっと手伝っていただきたいことが、ありまして――」
 「俺に? 」
 「はい……ほら、卒業した時、タイムカプセルを埋めたでしょ? で、その、それを掘り出すのを手伝っていただけたら、なぁって」
  どうしてあゆみが自分を頼ってきたのかはまだ分からなかったが、涼は必死で冷静さを保ちながら、その頼み事に了解の意を示した。


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