プロローグ

夜の街 18

 女の名はナナセ、七つの世と書いてナナセと読むのだと、彼女は微笑した。そんな簡単な自己紹介から30分も経たないうち、涼はその七世のマンションにいた。誘って来たのは七世だったが、涼もこのまま帰るのは何だか虚しくて、誘いにすんなり乗った形だ。
 「……ねぇ、リョウ。『サツキ』って誰? 」
 「え? 」  
 寂しさを埋め合うような一時の戯れの後、天井を眺めながら、七世がぼそりとそう訊いてきた。涼はその問いかけにふと微苦笑を浮かべた。どうやら、コトの最中、あゆみと目の前にいる七世を重ねてしまったらしい。
 「ああ、気づいてなかったんだ……リョウ、ずっとその名前呼んでた、から」  
 七世は涼が自分を抱いている最中、別の女の名前を呼んでいたことをまるで世間話をするようにさらりと教えた。しかしながら、涼はその質問には答えず、七世にこう返した。
 「なら、ナナセ……お前が呟いてた『ヤツハ』って誰? 」  
 涼は七世が自分に抱かれている間、小声で甘く呟いていた名前についてそう問い返した。すると、七世はふっと淋しそうに微笑した後、思い出話をするような、遠い目でこう答えた。
 「昔、好きだった男(ひと)の名前よ……今も、好きなんだけどね。リョウのは? 」  
 七世の言葉に涼も低い声でこう答えた。
 「俺も同じ、さ……そいつ、お前と同じで、黒髪なんだ。背はお前より、ちみっこいけど」
 「そうなの。実はね、『ヤツハ』もリョウと同じ茶髪なの。それに、背丈もだいたい同じくらい。もう何年も逢ってない、けどね」  
 七世はあっさりとそう告白すると、まだ汗ばんでいる涼の胸に顔を埋めてこう続けた。涼がとあるフレーズを言いたげな表情をしていたことに、どうやら気づいていたらしい。
 「あのさ……ごめんとか言いっこなしよ。お互い様、なんだから」
 「何だ、気づいてたのか」
 「何となくね。だいたい、あたしたちの間に恋愛感情とかないでしょ? ただ、お互いに好きな人に似てて、お互い人肌が恋しかったから寝ただけってこと。だから、謝る必要なんてないわよ」
 「そりゃそうかもしれねーけど……まぁ、ナナセがそれでいーんなら、それでいーけど」  
 七世があっさりとした口調で割り切った言い方をするものだから、さすがの涼も呆気にとられていた。普通、恋愛感情がなくても、行為の間に別の相手の名をうっかり呼んだという場合、その後、お互いに気まずい感じが多少あると思うのだが、七世はそのことについて全く気にしてはいないようだ。まぁ、うだうだと「他の女の名を呼んだ」だの何だのと、責められるよりは幾分かマシだと涼は自分に言い聞かせた。  
 (似たもの同士、か……まぁ、五月が知ったら、絶対に目を三角にして怒るような話だろうけどな。愛もないのにとか……ってか、付き合ってこーいうコトするとか、あの純粋培養な優等生はまず知らなそーだけどな)  
 涼はそんなことを考えて微苦笑を浮かべながら、自分の胸に頬を寄せる七世の髪を撫でてやった。まるで猫のように瞳を細め、七世は少し甘えたような吐息を唇から零した。涼はそんな七世の唇に軽いキスを落とした後、再び彼女の身体を組み敷いた。
 「何、また? 」  
 七世はクスクス笑いながら、それに応じた。
 「まぁーな……そういや、お前って、もしかして、あの『プリンセス』のナナセ? 」
 「んー、一応……何、知ってるの? 」  
 涼から与えられる甘やかな感覚に気怠げな吐息を零しながら、七世はそう問い返した。
 「ん……俺のダチがお前のファンで今夜、お前がいなかったことに、凹んでたぜ」
 「あら、そりゃ悪いことしたわね……けど、ちょっと厄介な人に捕まって、色々と説教を垂れられてたのよ」
 「うわぁ、うぜーな、それ……で、来週は踊れそう? 」
 「まぁ、その厄介な人に会わなければね。ってか、必死で回避するわよ、今度はね」
 「そっか、ダチが楽しみにしてっから、頼むぜ……けど、俺、今こーしてることをダチに知られたら、そいつに確実に殺られるな」
 「そんなに怖い人なの、そのダチって人? 」
 「いいや、全然。むしろ、そいつ、すげーイイ奴だから……人間も出来てるしな。勿論、俺は、バレねーようにする自信あるけど」
 「……もしかして、そのダチって人、リョウがその『サツキ』って女(ひと)に惚れてるのも知ってる? 」
 「ん……ってか、頼みもしねーのに、『サツキ』とのキューピッドやるとか言ってる」
 「なら、バレるとちみっとヤバいかもね」  
 七世は面白がるような微笑を浮かべ、涼の首に腕を絡め、噛みつくようなキスをした。そんな二人の戯れは夜明けまで続いた。

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