夜の街 12 何故怒ったのかという理由も分からないまま、走り去るあゆみの背中を追うべきなのか、追わないべきなのかを涼が迷っていると、不意に背後から少し呆れたような声が聞こえた。 「涼様……貴方様はバカ、ですか? 」 「峰谷、盗み聞きの趣味があったのか、お前は……で、どうして俺がバカなんだ? 」 涼は先程からずっと物陰で一連の出来事を見ていたらしいお節介な世話役の方をじろりと睨み付け、そう問い返した。 「なぜ、五月様があのようにお怒りになられたか、お分かりにならないのでしょう? 」 「ああ……女心ってのはやっぱ複雑だな」 「女性とのご交際に長けていらっしゃる涼様らしくないお言葉ですね……いいですか、以前、貴方様は五月様に何と仰いましたか? 」 峰谷の嫌味混じりの問いかけに涼は一瞬顔をしかめたが、すぐに思い当たる節があったのか、恐る恐るこう答えた。 「え? ま、まさか……『チビブス』って言ったことか? あ、ありゃ、随分昔の、しかも、その、照れ隠しに言ったことだろ? 」 「……言われたのが随分昔だろうと、女性というのは好きな異性から言われた言葉、特に否定的な言葉というのは、意外によく憶えているものですから。それに、それが照れ隠しだと理解っているのは、涼様が五月様をお好きだと知っている方だけでございましょう。ちなみに、五月様は涼様のお気持ちをご存知だったのですか? 」 「…………」 峰谷の言葉に涼は思わず黙り込んだ。 「それで、五月様が『からかわないで』と仰 ったんですよ。で、どうされます? 」 峰谷が「やれやれ、貴方様は」と言わんばかりの口調でそう尋ねる。多分、「お好きなら、今後のためにもちゃんとフォローをなさった方がよろしいのでは? 」と言いたいらしい。 「そうだな……いや、やめとく。これ以上、五月を怒らせたくねーし、それに今さら『好きだ』なんて言われたって、アイツも迷惑だろうから」 涼はそう言い放つと、不意にポケットの中で先程からひっきりなしに振動し、その存在を訴えている携帯を取り出した。メールだ。 「佐山様か本宮様、長屋様からですか? 」 「いや……新しい遊び相手から」 涼はメールの文面にちらりと目を通した後、不意に肩をすくめてこう言った。メールの送り主のエリとはつい最近知り合ったばかりだ。まぁまぁ身体の相性はいいが、正直、遊び相手以上にはなりえない存在だ。 「また、ですか……刺されますよ、そんなことばっかりなさっていては」 峰谷が深い溜息をついた後、苦言を呈する。 「刺されるねぇ……この前、それ瀬田にも言われた。ってか、刺されるようなヘマなんかしねーし」 「……そういう問題じゃなくてですねぇ。いいですか? そういうお遊びには色々と危険が伴うんですよ。差し出がましいようですが、涼様、ご自分のお立場をちゃんとご理解なさってますか? 」 (どうせ俺が昔の親父みたいに相手孕ませて、それで生まれた子どもを跡取りにするかしないかだの何だの、どーのこーの揉めるのが嫌なんだろ? ) 涼は内心そう毒気付いた後、どこか嘲るような口調でこう言い返した。 「ふん……遊び相手を孕ますなんてヘマを俺がやらかすとでも? 残念だが、その辺りはちゃんと注意してるぜ。それに、どーせ、後2、3年もすりゃ、親族会議で決まった適当な女と結婚して子ども作って、家を存続させなきゃなんねーんだろ? 一応、敷かれたレールの上を走ってやんだから、これくらいの遊びくらい、大目に見ろって」 「涼様……そ、そんな言い方は」 どうしたらいいのかと困惑している峰谷をよそに、涼はさっさとエリからのメールに返信を始めた。絵文字とギャル文字が躍るエリのメールを見て、ふと考えても仕方のないことが涼の脳裏に浮かんだ。 (五月だったら、どんなメールくれるんだろうな……いけね、んなありえねーこと考えても仕方ねーのに) 慌ててそんな思考を振り払い、涼はエリのメールに負けず劣らず絵文字を使ったメールを送り返した。内容は今から逢いたいというエリの要望に答えた形だ。 「……涼様、よろしいので? 」 どうもプライバシーの観念がないのか、峰谷は涼のメールを横から覗き込みながら、そう尋ねてきた。 「別に」 多分、同窓会でまたあゆみに逢っても、きっと彼女はもう二度と近づいてくれないだろうと、涼は微苦笑を浮かべた。そして、そんな主人の姿に峰谷は何かを考え込んでいた。 |