プロローグ

夜の街 10

 「鳴沢君なんて……大嫌い、です」
 次の瞬間、あゆみはその瞳に涙をいっぱい浮かべながら、ぐしゃぐしゃになったチョコレートをひったくると、ぱたぱたと教室から出て行ってしまった。それ以降、あゆみは二度と自分から涼と関わろうとしなくなり、一時は近かった距離も目に見えて遠くなった。
 「……あゆみぃ、黒板消し手伝うわぁ」
 その後、偶然涼とあゆみが日直で一緒になった時があった。しかし、あゆみの友人のちーちゃんこと宮田 千香、小町っちゃんこと都部 小町、ゆーちゃんこと福島 由香がまるで小判鮫のようにくっついて来た。最後に日直日誌を担任に提出する時でさえ、ぴったりくっついて来ていた。謝る機会も、本当は嬉しかったということも言えなかったのはそのせいと言い切ってしまうのは簡単だ。しかし、本当はそうした障害を押しのけても、そうすべきだったのだと今なら痛いほど思う。
 「鳴沢君、本宮君……ちょっと、休憩しませんか? 」
 そんな涼の回想を断ち切るように、あゆみの声が聞こえた。
 「お、遅くなりました……えっと、お二人ともコーラで良かったんですよね? 」
 「あはは、遅くないって。むしろ、早いって。ありがとね、五月ちゃん」
 「ああ」  
 愛想のいい本宮と無愛想な自分、どちらの方があゆみの好感度が高いかなんて知れている。それが理解っているのに、上手く振る舞えない自分に妙に苛々する。涼はあゆみから渡されたコーラ缶のプルタブを勢いよく開けた。渇いた喉にコーラが染み渡る、そんな炭酸の感覚が心地よいような、甘くもほろ苦いような気がした。
 「ねぇ、五月ちゃん……そういや、何で俺らを呼んだわけ? 」
 「え? 」  
 あゆみが買ってきたらしいスナック菓子を ぽりぽりと遠慮無く貪りながら、本宮はそう彼女に尋ねた。
 「え? えっと、その、アユミ、ちゃんが……じゃなかった、『あの二人なら引き受けてくれる』って言ってくれた人がいたので――」  
 あゆみは自分のことをちゃんづけで読んだ後、一瞬「いけないっ」という表情を浮かべた後、すぐにそれを無邪気な笑顔で覆い隠した。それは自分をちゃん付けしたからではなく、別の理由があるように涼には思われた。
 「……ふぅん」  
 しかし、あゆみが必死で誤魔化そうとしていることをわざわざ暴く気にはなれず、涼は素っ気ない相槌を打ち、そのまま流した。
 「……しかし、深く埋め過ぎだろ、これは。後々掘り返す人間の身になれってーの」  
 ようやくほんの少しだけ地表に現れたタイムカプセルをちらりと見た後、涼は話題を変えた。
 「確かにそう、ですよねぇ。えっと、あの、もう、後は私が掘りますか……」  
 涼のその発言を穴掘りをさせた不満だと感じたのか、あゆみは申し訳なさそうに、近くのスコップを手に取り、そう申し出た。だが、涼がこの発言をしたのは単に話題を変えるためだけであり、別に不満など微塵もなかった。やはり、あゆみが自分に対して妙に気を遣っているのを、涼は痛いほど感じていた。それなのに、やはりあゆみに対して憎まれ口しか出てこない自分にまた苛立つしかない。
 「お前なぁ……お前みたいなちっこいのが一生懸命これを掘ったところで、一緒に埋まるのがオチだって。タイムカプセルと生き埋めなんて、笑えねーから」
 「お、おい、涼……」  
 本宮が「お前は何でそう状況を悪化させるようなことしか言わねーんだ」と言わんばかりの表情を浮かべ、涼にあゆみの方を見るように促した。
 「あ……」  
 本宮に促されてあゆみの方を見た涼は思わず言葉を失った。
 「あーあ、責任とれよ、お前 」  
 自分たちの前で何とか泣かないようにあゆみは唇を噛んで俯いていた。必死で泣くのを堪えているのだろうが、既にその頬からは既にぽろぽろと涙の雫が零れ始めていた。
 「わ、えっと……」  
 普段はこうして女に泣かれることに対して全く何の躊躇いもない涼だったが、この時はただ戸惑い、対応に慌てるしかなかった。
 「……えっと、いや、あの、別にその、な、泣くなよ」  
 そんな自分を本宮が「いつもの態度はどうしたよ」と言わんばかりにニヤニヤしながら見ていることも構わず、涼は必死であゆみを宥めようとした。だが、涼にはこういう場合の宥め方が分からなかった。他の女ならば、キスでもして、抱きしめればいい。だが、あゆみが相手では、そう簡単にはいかなかった。

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