突き放す優しさ 8 「お帰りなさい。ちょうど、話があったのよ」 居間のソファーでは既に景子が紅茶を飲みながら、涼を待ち受けていた。 「ただいま。話?」 「そう、話があるの。まぁ、お座りなさいな」 景子に促されるがままに、涼は彼女の真向かいのソファーに座った。慌てて側にいたメイドが涼に紅茶を淹れようとしたが、景子はそれを制して彼女を退室させた後、自ら涼のカップに茶を注いだ。 「……随分久しぶりよね。こうして二人でお茶を飲むのはーー」 「……そうだな。これ、ダージリン?」 景子の言葉に涼は複雑そうに微笑み、注がれた紅茶に口をつけた。まだ景子が義理の母親とは知らなかった幼い頃、涼はよくこうして彼女と一緒にお茶を飲んでいた。景子はアッサムで淹れたミルクティー、涼はココアを飲みながら、この居間で仲睦ましく過ごしたものだった。しかし、事実を知ってから、涼はどんなに誘われても、二度と景子とそんな時間を過ごそうとはしなくなった。 「そう……もしかして、コーヒーの方が良かったかしら?」 「いや、紅茶も嫌いじゃねーから……それより、話って?」 「平嶋さんとの縁談、どうするの?」 「断るさ……最初からそういう話で引き受けたし」 「それならいいわ……さっき、五月さんのお父様がいらしてね」 「五月の父親が?一体何の用で?」 五月という名前を聞いた途端、涼はほんの少し動揺した。しかも、あゆみを過去に傷つけた父親が来たと言われ、思わず声のトーンが少し上げてしまった。すると、景子は穏やかな声でこう告げた。 「『娘に付きまとうのをやめろ』って息子さんに言ってくださいですって」 「はぁ?」 「過去のことを随分お調べになったみたいで……まぁ、そう言われても仕方ないとは自分でも理解ってるでしょうに?」 「まぁ、そりゃそーだ」 自分の過去の行いが誤魔化すつもりは毛頭無い。涼はあっさりとそう言い放つと、窓の外に視線を向けて、こう答えた。 「けど……いや、その要求は受け入れられねーよ」 「知ってるわ、そんなこと……伊達に母親を十四年もしてないわよ」 景子の唇から「母親」という言葉が零れた瞬間、涼は無言で立ち上がろうとした。しかし、景子の手がすっと伸びて、ぱんっ、という乾いた音が辺りに響いた。 「つぅ……」 じわじわと熱を帯びていく左頬を押さえ、涼はじろりと景子を睨み付けた。だが、景子が酷く辛そうな表情を浮かべているのを目の当たりにして、諦めたような深い溜息をついて座り込むと、吐き出すような低い声でこう訊ねた。 「憎んでねーのかよ、俺のこと」 涼の悲鳴のような問いかけに、景子は穏やかにこう答えた。 「憎めないわよ……血が繋がってなくたって、貴方はやっぱり、私の子どもなんだから」 「どうして、そう言えるんだよ。俺のせいで、義母さんは自分の子どもを諦めたってーー」 「……どこから、そんな話になったの?」 涼の言葉に対して、景子が呆れたような声でそう問い返した。 「いや、その……」 「あー、親戚(あのひとたち)ね。涼、私はね、元々子どもを授かりにくい身体で、あの頃は病院に通っていたのよ」 「え?」 「でも、なかなか良い結果が出ない上に体調を崩して……お医者様からは養子縁組を薦められ始めていたのよ。ちょうどその頃、貴方のことが判ってね。何だか、憎むとかそれ以前に、不思議なんだけど、『ああ、これで私、子どもが育てられる』って思ったのよね」 「はぁ?」 「自分でも何でそう思ったのかは今も理解らないわ……ただ、初めて貴方の顔を見た時、『ああ、私の子だ』って感じたの」 「けど……」 「運命だったのかもしれないわね……だって、今の貴方、私にそっくりだもの」 「はぁ?」 「まず、治彦(あのひと)に対する扱いとか、容赦ない物言いとか……この前、お義父様に『さすが、涼は景子さんにそっくりだ』って褒められたわよ」 「それ、褒められてるの?」 「多分、そうじゃないかしら。お義父さん、結構はっきり物を仰る方だから。だから、これだけは言っておくわね。涼、貴方は血が繋がってなくても、私の子どもなのよ」 |