第四章

突き放す優しさ 7

 「……おう、お帰り」  
 久しぶりに両親のいる本家へ戻った涼を出迎えたもの、それは三階の軒先からぶら下がる蓑虫状態の父親、治彦の姿だった。
 「……また、か」  
 蓑虫状態の父親に声をかける気もなく、涼は低い声でそう呟いて、彼にちらりと呆れるような視線を投げかけた。そして、そのままその脇を通り過ぎようとした。すると、治彦が簑を揺らして、情けない声でこう言った。
 「頼むから、無視しないでくれ。『何で、そこに吊されてるんだ』ぐらい訊いてくれ」  
 (面倒だよな、このバカに付き合うの)  
 涼はそんなことを考えながら、さらりとした口調で父親にこう返した。
 「どうせ、また『一夜のふぉーりんらぶ』がバレたんだろ。毎回のように同じパターンだから、訊くのも時間の無駄」
 「ぐっ……」  
 黙り込んだことから判断するに、どうやら間違いなかったらしい。治彦はあまりに的確な息子の言葉に心を完全に抉られたらしく、今にも泣き蓑虫と化そうとしていた。すると、騒ぎを聞きつけたのか、屋敷の中から黒スーツの男が慌てて出て来た。
 「涼様、お願いですから、それ以上は旦那様をーー」  
 その人物を涼はよく知っている。治彦の秘書であり、現在は鳴沢家の執事頭である詠である。世話係である峰谷の父親にあたる人物である。
 「……本当のことを言っただけだろ」
 「まぁ、それはそうですが……一応、これでもお父様なのですから、少しは労って頂けないでしょうか」
 「労るねぇ……コイツが親らしいことしてたら、俺だって多少はそうするさ。けどなーー」  
 涼が肩をすくめてそう答えると、詠は治彦には聞こえないような小声でこう洩らした。
 「まぁ、お気持ちは理解りますが、ね……しかし、一応は実のお父様ですから」
 「認めたくねーけど、事実だから、さすがにそこに目を背けたりはしねーさ……そういや、今回は何でバレたんだ?」
 「旦那様のお相手の方がですね……お二人で撮ったらしい、写真メール、俗に言う写メを携帯に送ってこられましてーー」  
 予想通りの詠の言葉に、涼は醒めた視線を蓑虫に投げかけ、こう問い返した。
 「アンタ……危機管理能力無さ過ぎだろ。自分の立場、ちゃんと理解ってるか?」
 「理解っておる。しかしな、盛り上がった席で『ねぇ、撮りましょ』と甘えられたら、お前だって男だから、嫌とは言えないはずーー」
 「いや、俺、嫌だって言うぜ。ってか、その様子だと全く反省してねーみたいだな。当分、そこでぶら下がっとけ」
 「りょぉー、哀れなお父さんを助けてくれたっていいじゃないかぁー」  
 息子が自分を助けるつもりがないことを察した蓑虫父はゆらゆらと体を揺らして、必死に哀れさをアピールする。正直、鬱陶しいから、高枝切り鋏で紐を切って、この蓑虫を地面に叩き付けたい衝動に駆られる。
 「あらあら、貴方ったら……大騒ぎなさって、そんなに地上が恋しいのかしら」  
 不意に二階の窓から、蓑虫の妻であり、涼にとっては義理の母親である景子が顔を覗かせた。その手には既に高枝切り鋏が光っていた。妻の手に握られた、その獲物に、その言葉に治彦の表情は一気に凍り付いた。だが、景子はそんな夫の表情の変化など意にも介さず、未だ玄関に立つ涼にこう声を掛けた。
 「あら、涼。おかえりなさい」
 「ただいま、義母(かあ)さん」
 「さぁ、そこに立ってなんかいないで、早く家に入りなさいな」
 「ええ、それじゃ」  
 すっかり表情を凍り付かせた治彦を詠に任せ、涼は景子に呼ばれるままに家に入った。
 「お帰りなさいませ、涼様」  
 玄関から居間へと続く長い廊下の両端には既に使用人たちが整然と並び、涼が通るのを待ち構えている。涼は正直、これが苦手だ。だいたい、出迎えられるほどのこともしていないというのに、こう派手に出迎えられると、何となく恥ずかしいのだ。先日帰宅した時には、こうなるのを恐れて一番忙しい時刻を見計らい、その上唐突に帰ってきたために回避できたのだが、今日はそうもいかなかった。執事頭である詠がそうならないように仕向けたのだろう。
 「ああ」  
 涼は素っ気なく使用人たちの出迎えの声に答えながら、足早にその前を通り過ぎていく。時折、新顔らしい若いメイドが思わせぶりな視線を投げかけてくる。以前ならば、「据え膳食わぬはーー」で弄んでいたレベルの顔立ちだ。しかし、今はもうそんな気持ちにはなれず、涼はその視線に気付かぬふりをした。

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