第四章

突き放す優しさ 6

 涼が汀にメールで写真を送ってしばらく後、本家に着いた。
 「おお、涼……今、ちょうど汀が会議を取り下げたいと申し出てきたのだがーー」  
 すると、二人を待ち受けていたのは、縁側で相変わらず酒を嗜んでいた湧からのそんな報告だった。湧は視線で自分の隣に座るようにと促したが、涼はそれに気付かぬふりをして、その場に立ったまま話を続けた。
 「取り下げ? 」
 「おお……お前の素行の悪さはワシからきつく釘を刺しておけば良いだろうと言ってな」
 「ふぅん……」
 「どういう風の吹き回しかのぅ。汀はお前を目の敵にしておったはずだから、今回はまたとない機会であったろうに」  
 湧が「お前、何かやったろう」と言わんばかりに微笑むので、涼はさらりとそれを受け流して、素知らぬフリでこう返した。
 「さぁね」  
 汀が会議の取り下げを申し出たのは、涼が持っている写真が原因だ。涼にちょっかいを出して、自分の浮気が妻に、その実家に露見する写真が流出する危険を避けたかったからだろう。そう考えると、汀は意外に気の毒な存在なのかもしれない。
 「まぁ、そんな小事はどうでも良かろう……それより、小娘のことだ」  
 汀のことをあっさり小事と言い切った後、湧はコトリと猪口を置いた。残された中身が月明かりを反射してキラキラ光る。
 「……お前、どうするつもりだ? 」
 「どうもしねーさ……今のアイツに何を言ったって、何をしてやったって、結局は何の解決にもなりゃしねーだろ。中途半端な優しさなんか、今のアイツには残酷過ぎるだけさ」  
 涼のその言葉に湧はほんの一瞬、ほっとしたような表情を浮かべた。
 「そうか……しかし、狸退治だけは必要であろうな」
 「狸退治」という言葉を発する湧の声がどこか生き生きとしていることに気付いて、涼は呆れたような視線を祖父に向けた。
 「アンタも十分、狸……いや、それ以上か」
 「それは致し方あるまい」  
 湧の言葉に涼は肩をすくめた後、そこで初めてその隣に座った。
 「飲むか?」  
 湧が自分の持っていた猪口を視線で指し示したが、涼は首を横に振った。
 「未成年に飲ませちゃ駄目だろ、祖父さん」
 「普段飲んどるくせに何を言うか、小童め……今宵の酒はお前にとってはちと不味いかもしれぬが、飲め」  
 湧は自分が飲んでいた猪口を側にあった杯洗で軽く濯いで縁を指で拭うと、涼に有無を言わさぬようにぐっと差し出した。
 「……ん」  
 涼が片手で受け取った猪口に、湧も片手で銚子から酒を注ぐ。
 「……干せ」
 「言われずとも」  
 湧の言葉に涼は祖父を軽く睨み返すと、一気に猪口の中身を干した。口に広がっていく灼けるような味に、涼は少しだけ眉を顰めた。
 「……こうしてお前と飲む日が来るとは。時間(とき)の流れは早いものだ。お前が赤子の頃のことをまだ昨日のように思い出せるのにな」  
 湧は猪口をコトリと置くと、不意に空いたその手で隣に座る涼の頭をわしゃわしゃと乱暴に撫でた。
 「……な、何だよっ。まさか、酔っちまったのか? 」
 「酔うてはおらん」
 「酔っぱらいは大抵そう言うだろーが……ったく」  
 涼は撫で乱された髪を不機嫌そうに手櫛で直しながら、湧を軽く睨み付けた。だが、湧はそんなことはどこ吹く風で、口元には穏やかな微笑を浮かべていた。
 「……な、何だよっ、気味が悪りぃんだよ。ってか、何か言えよ。調子が狂っちまうだろ」
 「いや……たまには可愛い孫の頭ぐらいは撫でても良かろうと思ってな」
 「可愛い孫って……アンタ、何か悪いモンでも食ったか?」
 「いや、全く心当たりがないが。何だ、照れておるのか」
 「……別に」
 「素直じゃないな、お前は」
 「うるせーよ……んなの自分でも理解ってる」
 「まぁ、治彦のようにあまりに素直過ぎるのもちと困りものだがな」
 「素直というか……本能丸出しだろ、あれ」  
 涼の言葉に湧がくっくっと喉を鳴らす。どうやら祖父は自分のその言葉に同意しているのだと理解しながら、涼はふっと空を仰いだ。
 (親父みてーに素直だったら……今でも随分楽に過ごせてただろうな、俺)

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