第四章

突き放す優しさ 5

 あゆみを家の玄関まで送り届けた涼を待っていたのは、峰谷が運転する車であった。しかし、峰谷の表情はどこか浮かない。
 「……どうしたんだ? 」  
 涼は車の後部座席に乗り込みながら、峰谷の表情の理由を尋ねた。すると、峰谷が酷く低い声でこう告げた。
 「先程、平嶋氏から連絡がありました」
 「連絡? 」
 「……七世嬢が病院に搬送されたそうです」
 「はぁ? 病院だと? 」
 「ええ」  
 峰谷が渋い表情で頷く。七世の身に一体何が起こったのだろう。あまり良くない出来事だとは峰谷の表情から容易に想像がつく。
 「……容態は? 」
 「あまり良くないと伺っております」
 「どういう状況だったんだ? 」  
 峰谷によれば、どうやら七世は発作的に自殺を図ったらしく、医者から処方されていた薬を大量に服用したらしい。その原因は八葉なのだが、平嶋氏は「涼が煮え切らない態度で、なかなか進まない縁談に悩んだ結果だ」と主張して、「それは違う」という異論を聞く耳を持たないらしい。実際、八葉に金を積んでいたことを考えれば、平嶋氏は今回の事の真相を察してはいるのだろうから、酷い茶番だ。
 「……厄介、だな」
 「ええ……それで、緊急に明日、ご本家で親族会議を開くと汀(みぎわ)様が仰いまして」
 「汀のオッサンが? 」  
 汀という名前を聞いた途端、涼は一気に眉を顰めた。汀は鳴沢家の厄介な親戚の一人だ。汀は祖父の湧にとっては実質的長男であったが、母親が正妻の千代子ではないこともあり、生後すぐに母方の兄弟に養子に出された。しかしながら、妻の実家の力もあり、現在は鳴沢家の一員として幅を利かせている。実際、涼の父親である治彦が鳴沢家当主になる時にも「自分は長男だから」などと色々とゴネたらしいが、湧の一喝によって渋々それを諦めた経緯がある。とはいえ、今も機会さえあれば、鳴沢家当主の座を未だに狙っている節がある。
 「……面倒だな、そりゃ」
 「面倒で済めば宜しいのですが……『今回の一件は家訓に違反する』という切り口から攻めて、最終的には涼様の素行の悪さに持ってくるでしょうね」  
 峰谷の分析は的確だ。
 「理解ってる……」
 「まぁ……素行の悪さと言えば、汀様もそうそう言えないとは思うのですが」  
 峰谷は困ったように微笑んだ。
 「ああ……アレを使うか」  
 涼は携帯を開き、マイクロSDに保存してあった写真データを呼び出した。そこには汀伯父が若い女とホテルの一室らしき部屋で半裸で戯れ合う姿があった。以前、涼が女との戯れの後、一服した際に見かけて、「まぁ、何かに役に立つか」と撮影したものだ。
 「……なぁ、峰谷」
 「何でございましょう? 」
 「汀のオッサンの番号とアドは? 」  
 峰谷は運転をしながらすらすらと汀の電話番号とアドレスを諳んじた。涼は峰谷の声を聞きながら、それを自分の携帯に打ち込むと、すぐに登録したての番号に電話をかけた。相手はすぐに電話に出た。
 「……キミは一体誰だね。私の番号を知っているなど」  
 電話の向こうで聞こえる尊大な伯父の声に涼は表情では悪態をつきながらも、それとは正反対の丁寧かつ穏やかな口調で名乗った。
 「ああ、お久しぶりです、汀伯父さん。涼です。唐突に申し訳ありません」
 「ああ、涼君か。随分と今日はしおらしいようだが、まさか明日の会議で手心を加えてくれなぞというお願いの電話じゃなかろうね」
 「いやだなぁ、そんなお願いを僕がするとでもお思いですか……」
 「なら、何だね」
 「伯父さんが綺麗な女性とシーツの海で遊んでいらっしゃる写真があるんです」
 「え? 」  
 汀の声が微かではあるが、急に震え出した。そう、汀の今の立場は妻である弥生の実家の力があってこそ。もし、浮気がバレたら、それこそ威張るしか能のない汀には破滅しかない。そんな汀の動揺をよそに、涼は相変わらず丁寧な口調でこう続けた。
 「弥生伯母さんがお雇いになった探偵が撮影したようなのですが……欲を出したらしく、伯母さんにお渡しせずに雑誌社に売り込もうとしたのを差し止めました」  
 受話器の向こうで汀がごくりと唾を飲み込む音が聞こえる。涼が写真をどうするのかを知りたがっているのだろう。だが、涼は汀にここで手の内は明かすつもりは毛頭無かった。

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