突き放す優しさ 3 涼は電信柱から出ると、ごくごく普通にあゆみの隠れている看板のすぐ隣にある自動販売機に近づいた。どうやら、八葉は涼には気付いていないらしく、全くこちらを意識していない。そして、あゆみも八葉を意識しているせいか、涼が近づいたことにすら気付いていない。ほんの少し手を伸ばせば、その柔らかな黒髪に触れられる程の距離。触れたら、きっとあゆみは戸惑うだろう。しかし、そうも言っていられないと、あゆみの怯え切っている表情が告げる。 「五月」 涼はジュースを取り出すフリをしながら、屈み込むと、あゆみの頭に右手をぽんと置いてそう声をかけた。 「……なっ、なるさ」 涼に気付いた途端、あゆみはその大きく黒い瞳を真ん丸に見開き、大声で彼の名前を呼ぼうとした。だが、涼はあゆみの唇を指先で押さえ、それをさせなかった。 「……しいっ、アイツに見つかっちまうだろ。この路地、通り抜けるぞ」 涼はあゆみにそう小声で指示すると、視線で自動販売機のすぐ横にある、薄暗く狭い路地を指した。この路地はファッションホテルが集中している通り、ホテル街に繋がっているため、普通の学生はあまり通らない。そこを通ろうという涼の言葉に、あゆみの表情は「どうしよう? 」と言わんばかりに曇った。 「信じて……くれねーか? 」 あゆみのそんな反応に胸をきゅっと締め付けられながら、涼は彼女にそう呟いた。自分を傷つけた男から「信じてくれ」と言われても、そう簡単に頷けないあゆみの気持ちは痛いほど理解っている。しかし、ここにいつまでも隠れているわけにもいかないし、第一に怯え切った表情を浮かべているあゆみを涼自身、そのまま放ってはおけなかった。涼はそっと、その表情を曇らせたままのあゆみの目の前に手を差し出した。すると、おずおずとした態度ながら、あゆみがその手を掴んだ。柔らかくて温かい、あゆみの小さな手の感触に、涼は思わず叫びだしたい衝動に必死で耐えた。だいたい、そんな場合ではないのだ。 「……立てるか? 」 八葉の様子を伺いながらの涼の問いかけにあゆみは子どものように素直にこくんと頷き、ゆっくり立ち上がった。幸い、看板が陰になり、立ち上がったあゆみの姿も八葉から死角になっているので、気付かれていない。 (……このまま通りに出たら、マズイな) あゆみを連れて路地を通ろうとした途端、涼ははっとあることに気付いた。このままだと、あゆみは銀籠の制服姿のままでホテル街を通り抜けることになる。いくら、「怪しい男に待ち伏せされていて」と説明した所で、銀籠の生徒が年頃の少年とホテル街を歩いていたのを誰かに見られたら、何を言われるか理解らない。 「五月、これ着て」 涼は自分が着ていた、黒のフード付きコートを立ち上がったあゆみに差し出した。その涼の言葉に再びあゆみは戸惑いの表情を浮かべたが、彼が真顔なのを見て取ると、素直にそれを制服と背負い鞄の上から着た。涼のコートは身長が低く小柄なあゆみには丈が長過ぎて袖も裾もだぶだぶの上、背負い鞄でぽっこり背中の部分が膨らんでいるせいで「どこの黒魔術師ですか」と言われても仕方のないスタイルであったが、ここはやむを得まい。 「あのぅ……」 「はい、フードもかぶって。」 涼はあゆみに有無を言わさず、その頭にフードをかぶせた。そして、涼はあゆみの手を引っ張り、足早に路地へと入った。 「あ、あのぅ、鳴沢君」 「……何? 」 路地を出る時、不意にあゆみに名前を呼ばれ、涼は振り返らずに返事をした。すると、あゆみがぽそぽそとこう問いかけた。 「その……な、七世さんに怒られますから、手を離して貰えませんか? 」 「……どうして? 」 「い、いくら、その、変な男に待ち伏せされて困ってたからって説明されても……や、やっぱり、カノジョさん以外の女の子と手を繋いだりするのって、すごくすごく、カノジョさんにとっては嫌だと思う、からです」 「……五月はそーいうの、嫌なんだ。じゃ、今後は気をつけるよ」 涼はそう言いながら、自分の唇から自然に微苦笑が洩れていることに気付いた。あゆみとの今後があるのかは判らない。しかし、今はその今後を信じたい。 「え、あ……あの、話を逸らさないで下さい」 「話は逸らしてねーよ……ってか、七世との見合い話は元々、断るつもりだし。七世だって、そのつもりで話、持ちかけてきたんだよ」 「え? 」 「七世もさ、その、別に好きな奴がいたから」 |