第四章

突き放す優しさ 19

「あー、喋ったらノド渇いたわぁ」
 アユミがわざとらしい不機嫌そうな声でそう呟いたのは、涼が大事そうに封筒に読み終えた手紙をしまったのを横目で確認した後だった。
「……コーヒーなら出せるけど? 」
 涼が廊下に控えているはずの峰谷を呼ぼうとすると、アユミは大げさに深い溜息をついた。涼はそんなアユミに問いかけた。
「……何だよ、コーヒーじゃ不満なのかよ」「違うわよ。コーヒーは好きよ、あたしはね」
 アユミのその言葉に、涼は彼女が何を言わんとしているのかがすぐに分かった。
「……とりあえず、この辺りに美味しいパンケーキのお店、あったわよねぇ」
「……あ、ああ」
 涼もその店のことはよく知っていた。以前、遊びで付き合っていた、もう顔も忘れた女に「今度連れてって」とねだられ続けた店だ。結果的に、連れて行く前に涼がその女に飽きて、あっさり別れを告げたため、その店には行ったことはないが。
「……じゃ、その店まで行ってから、『あのコ』と代わったげるわ。まぁ、上手くやんなさいよ」
 アユミは自分とあゆみとのデートのお膳立てをしてくれるつもりらしいと理解しつつ、涼はふと浮かんだ、素朴な疑問を投げかけた。
「アユミ……お前、俺のこと嫌いなんじゃなかったのか? 」
「まぁ、好きじゃないわよ。むしろ、嫌い」
 アユミはきっぱりとそう言い放った後、少しだけ声のトーンを落とした。
「けど……アンタのことを考えて、泣いたり苦しんだりしてる『あのコ』を見るしか出来ないよりは大分マシなんだもの。損な役回りよね」
「……わ、悪かった」
「そのセリフ、ちゃんと『あのコ』に言ってあげなさい……ってか、また泣かしたら、承知しないから」
 アユミはそう言ってふっと背中を向けて小脇に抱えていたコートやマフラー、手袋を身につけ、すたすたと歩き出した。涼は慌てて自分も傍にあったコートを引っかけ、そんなアユミに追いつかないようにしつつ、その背中を追った。もし、追いついて顔を覗き込んだとしたら、きっとアユミは酷く泣きそうな表情をしているに違いなかった。だからこそ、背を向けて先を歩く。その行動が今のアユミにとっては精一杯の強がりであることが涼はよく理解っていた。
「……涼様、アユミ様、行ってらっしゃいませ。お気をつけて」
 どうやら峰谷は廊下で一連の会話を聞いていたらしく、素直に見送ってくれた。オフィスビルを出ると、不意に冷たい風が二人の頬を切りつけた。
「寒っ……ってか、冬なんて滅べばいいのに」
 マフラーに顔の半分をすっぽり埋めた状態で、アユミが憎々しげにそう呟く。どうやら、彼女は冬、いや寒いのが苦手らしい。
「……寒いの、苦手なのか? 」
 涼にとっては、この季節の寒さは酷く心地良い。だからこそ、その言葉は多少からかうような口調になった。すると、アユミはじろりとそんな涼を軽く睨みつけた。
「悪い? まぁ、この様子だと今夜は雪かもねぇ」
 アユミの言葉に涼は思わず空を見上げた。確かに雪が降りそうな様子の雲が広がっており、涼は思わず口元に笑みを浮かべた。
「アンタ……雪、好きなの? 」
 涼の口元の笑みに気づいたのか、アユミが呆れたように尋ねてきた。
「まぁ、雪が好きというより、スキーとかスノボとか結構好きで、よく行ってるからな」
「……んで、そこで馬鹿な娘(こ)を引っかけて、遊んでたと――」
 アユミの言葉に涼は苦笑いを浮かべた。
「まぁ……今後はそーいうの、ナシにしてよ」
「理解ってる……もう、それは絶対しねーよ」
 涼が酷く真面目な声でそう答えると、不意に前を歩いていたアユミが立ち止まった。
「どうした? 」
 涼がそう問いかけると、アユミは振り返らずにきっぱりとした口調でこう言った。
「……あと、さっき話した、屑どもの件、『あのコ』には内緒にしてくれない? それから、事情を知ってる人間(ひと)にも口止めして欲しいの」
「そりゃいいけど……それで、いいのか? 」
「……知らないことで苦しませるかもしれない。けど、知ったとしても、苦しませるだけ」
 アユミはそこで言葉を詰まらせた。確かに、知らなければ知らないで、あゆみは苦しむかもしれない。しかし、知ったら知ったで、更に苦しむかもしれない。だからこそ、その真実が存在することすら知らないでいて欲しい。涼はその気持ちを痛いほど感じ取っていた。


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