第四章

突き放す優しさ 20

 軽快なドアベルとともに入った店内は、ブランチを楽しむ、若い女性たちで賑わっていた。店内には静かな曲調のピアノ・ジャズが流れていたが、女性たちの話し声に掻き消され、注意して聴かなければ、ほとんど聞こえない状態だった。
「……これじゃ、台無しよね、せっかくの店の雰囲気。まぁ、人気があるってことだけど」
 椅子に座るやいなや、テーブルに頬杖をついたアユミは悪態をついた。涼はその言葉に苦笑いで応えた。
「……まぁ、仕方ないっか。ってか、とりあえず、注文まで済ませてから、あたしは還るから」
 アユミは慣れた様子でテーブルに備え付けのメニューを指先でなぞって、あゆみの好きそうなものを選んでいた。涼はそんなアユミの指先を視線で追いながら、甘いものが苦手な自分が食べられそうなものを探していた。
「え? アンタ、甘いもの苦手だったっけ? 」
 涼のそんな様子に気づいて、アユミがわざとらしく首をかしげて訊いてくる。訊ねているくせに、アユミの表情は既ににやけており、その問いを涼が肯定するのを待ち侘びている。涼はむすっとした表情を浮かべ、こう言い返した。
「知ってるくせに……意地が悪いな、お前」
「今更でしょ、それ……じゃぁ、これから苦労するわねぇ。『このコ』、甘いもの大好きだもん」
 確かにあゆみは甘いものが大好きだと以前言っていた。多分、これから逢う度にまた甘いものを食べる機会があるだろう。だからこそ、できるだけ甘いものに慣れておけとアユミは言っているつもりなのだろう。
「……別に苦労はしねーよ。それに、大抵、こういう所にはコーヒーがあるだろ? 」
「……あー、それはそうね」
 アユミは納得したように頷いた後、傍を通る店員を気にしたのか、小声でこう囁いた。
「でも、こーいう甘いもの扱うお店って……結構、飲み物とかには無頓着な所、多いじゃない。紅茶がティーバッグとか、コーヒーがインスタントとかさ。この店も多分、そうじゃないかしら? 」
「仕方ねーだろ、そりゃ……採算考えりゃ、どこで削るかって話だろ」
「まぁ、そりゃそうだけど……この店の場合、真面目にコンセプトを考えないと、いつまでもパンケーキだけに頼るわけいかないでしょ。こーいう流行りなんて、一時的だし」
 アユミの指摘は適切だった。店内を見回せば、確かに賑わっているとはいえ、そこまで流行っているわけではなさそうである。若い女性の興味・関心は移ろいやすい。
「……辛辣だな、お前」
「そう思うでしょ? けど、今のは、『あのコ』が言ってたことの受け売り」
「え? 」
 アユミはコートから携帯を取り出し、ちょいちょいっと操作した後、その画面を涼に見せた。それは「お菓子をめぐる冒険」というタイトルのベージュを基調としたシンプルなブログだった。
「はい、これが『あのコ』がやってる、甘いもの巡りのサイト。まぁ、さすがにあれ以来全然更新してないけどねぇ」
 「あれ以来」とは、七世に関連する、あのとのいざこざのことだろう。涼はそのことに思い当たり、思わずまた苦笑いを浮かべた。
「……まぁ、これからはまた更新するはず」
 アユミはそう言って、テーブルの上のベルを鳴らした。すると、忙しいせいで、明らかにイライラした雰囲気を醸し出した女性店員がオーダーを取りに来た。
「……この『ベリーベリースペシャル』と『ミルクティー』、あと『オーナーのこだわりコーヒー』と『ケークサレ』をお願いします」
 涼が何を食べたいのかを全く訊かないままで、アユミはすらすらとそう注文した。ただ、アユミのことだから、間違いはないだろうと短い付き合いながらも涼も理解っていた。だからこそ、何も言わずに黙っていた。
「かしこまりました」
 急いでいるのか、オーダーを復唱もせず、店員はそそくさと厨房へと消えて行った。
「店の雰囲気どころか、店員の態度も良くないわね。店が忙しい時ほど、客はよく見てるものなのに、店員教育がダメね。まぁ、後は肝心のパンケーキの味だけでもまともだと良いけど……ついでに、『ケークサレ』ってのは塩味のケーキ。だから、まぁ、アンタでも食べられるはずだから」
「へぇ……よく知ってるな」
 涼が素直にそう感心すると、アユミがうれしそうに微笑んだ。
「これも、『あのコ』の受け売り。そろそろ、あたしは代わるわ。上手くやんなさいよ」
 

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