第四章

突き放す優しさ 15

 数日後、涼は治彦から用意されたオフィスの一室で苦虫を噛みつぶした顔で机の上の書類を睨み付けていた。涼が治彦から任された仕事、それは彼が周囲の助けを借りて主導権を握っているNファブリックが今夏発表する、新作浴衣のモデル候補の選出だった。
 「これ……選ぶ意味、なくね? 何かみんな同じように見えて、『これだ』って決定的なものがねーんだよな」  
 あちこちのプロダクションから送られてきた、似たような顔立ちと髪型、似たような年齢、似たような場所で似たような扇情的ポーズをとった女たちの写真。机の上に広がったそれらを横目に、涼は深い溜息をついた。
 「……お気持ちは十分判りますが、それを選ぶのが私どもの仕事ですから」  
 峰谷の窘めに涼は写真に添付されたプロフィールに視線を投げながら、先程から感じていた素朴な疑問を投げかけた。
 「……なぁ、峰谷」
 「何でしょうか? 」
 「こんなにタイプが偏ってるって……妙じゃねーか? 」  
 今回の浴衣のコンセプトは「和」である。そのコンセプトに合うと思われる人材が集まってくるなら判るが、今回はどうも合わない人間ばかりが偏っている。しかも、応募してきたモデルたちをよくよく見れば、全て父親、治彦のストライクゾーンにいる女性ばかりだ。
 「……軽く済むとして、簀巻きだな」  
 父親の魂胆に気付いてしまった涼は思わずそうぼそりと呟いた。峰谷がそんな涼の言葉にわざとらしく首をかしげた。
 「簀巻きと仰いますと? 」
 「理解ってて訊くなよ、峰谷」  
 涼の言葉に峰谷が苦笑いを浮かべる。つまり、今回の「新作浴衣発表会でのモデル選出」はあくまで表向きの理由であり、実際のところは父親の新たな愛人選出だったわけだ。
 「そういえば……最近、奥様が先日のことに相当ご立腹されてるとかで、旦那様の夜遊びを禁止なさったとか、屋敷の者が噂しておりましたが――」
 「ったく、夜の街で相手が見つけられねーから、仕事を口実にって……ホントにろくでもねー奴だよな、あのバカ。親としても、旦那としても――」  
 涼はそう吐き捨てると、側にあった携帯電話を手にとった。電話の相手は、先程から自分の脳裏で扇で口元を隠しながらも、目が明らかに笑っている人物だ。
 「おう、涼。仕事はどうだ? 」  
 数回のコール音の後、明らかに今の孫の状況を明らかに楽しむような声で、湧が電話に出た。
 「アンタ、この仕事、面白がって俺にやらせただろ? 」
 「おお、ようやく気付いたか。いつ気付くかと楽しみにしておったが」
 「楽しみって……俺が気付かずにほいほい選んだら、それこそ大事になるだろ? 」
 「それに気付かぬほど、お前も愚かではあるまい……事実、こうしてワシに電話をしてくるのだから、問題はなかろう」  
 湧は悪びれもせずそう電話の向こうで軽やかな笑い声をあげる。
 「問題はない、ね……けど、事務所は今回の話が『愛人選び』ってことを承知で色々と送ってきたわけだろ。どこぞの事務所が馬鹿なことを考えたら、厄介なことになりゃしねーか? 」
 涼の溜息混じりの問いかけに、湧は少しだけ声のトーンを下げた。
 「厄介なことには確実になるだろうな……まぁ、実際は問題が表に出る前に周囲が確実に片付けるだろうがな」  
 湧の「片付ける」という言葉がどこか暗い響きなのは、相手を潰すことを意味するからだろう。
 「つまり、知らぬは馬鹿親父ばかりなり、か」
 「そういうことだ……そして、バレたことすら気付かぬまま、簀巻きだろう」
 「祖父さん、楽しそうだな」
 「まぁ、楽しいぞ。景子さんが高枝切り鋏を持って、『地上が恋しい? 』と治彦を脅しているやり取りは見ていて和むぞ」
 「アンタ……感覚、絶対おかしいだろ」
 「おかしいか? まぁ、あれもあの夫婦の円満な姿と思えば……」
 「まぁ、確かに言い争ってるよりは……マシか」  
 そうぼやいた涼の脳裏に蘇ったのは、幼い頃、時々深夜に子ども部屋まで聞こえてきた、両親の言い争う声だった。今では父親の戯言じみた言い訳ををさらりと聞き流し、笑顔で彼に容赦なく制裁を加える義母。しかし、涼が子どもの頃は違ったのだ。自分が「アイジンノコ」だと知ってからは、両親の言い争いの原因は自分だと思っていた。自分がいるから不幸になる、そんなことを思っていた。


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