第四章

突き放す優しさ 10

 平嶋 六郎氏と連んでいた記者を吊し上げて記事を完全に破棄させた後、涼は七世がいる病院を訪れた。政治家の娘という立場とここに運び込まれた理由がそうさせたのだろう、七世の病室は一般患者が入れない特別病棟の特別室であった。
 「……ああ、涼君。待っていたよ」  
 峰谷を通じて先に来訪を告げていたせいだろう、七世の父親、六郎氏はドアの前で待ち受けていた。その手には何かしらの書類らしきものが握られていた。
 「こうなってしまった以上……君は早々に七世と婚約して貰わなければならない。君を殴ってやりたいが、それでは娘が悲しむから」  
 娘の不幸を嘆く、良き父親の仮面を被ったまま、六郎氏は涼の襟元を掴もうとした。だが、涼はその手からするりと逃れると、酷く穏やかな声でこう言い返した。
 「茶番はいい加減にしねーか、平嶋さん」
 「茶番?」
 「ああ、しかも救いようのないほど下手な筋書きのな」
 「どういう意味かね?」
 「アンタは八葉のことを知った上で……今回の一件を全部こっちに押しつけて、自分の保身をしようとしてるだけだろ?」
 「何を証拠に?」
 「アンタと連んでた、『週刊ヒノデ』のヤマモトが全部吐いたぜ。何なら、今、ここでもう一度同じこと吐かせてやろうか?」
 「……随分と馬鹿なことを言うね。君こそ、逃げているだけじゃないかな。七世を傷つけた、自分の非からね」
 「逃げるつもりはねーさ……だからこそ、アンタに『思惑通り』って思われるのを承知で、ここに来た」
 「……口だけは達者だね。まぁ、いい。七世に会ってやってくれ」
 「言われなくても」  
 六郎が病室のドアを開けようとするのを制し、涼はノックした後、自分でドアを開けた。
 「りょう、きてくれたのね」  
 薄暗い病室、窓から差し込む微かな光がベッドから起き上がっている、七世の姿をぼんやりと浮かび上がらせた。
 「……ナナセ」
 「うれしいわ。やっぱり、さいごには、あたしをえらんでくれた、のね」  
 七世の声はまるで駆け出しの役者が無茶ぶりされた時のように、どこか虚ろだった。そう、まるで傷のついたCDを再生しているかのような、いつ途切れてしまうのか分からないという不安を掻き立てるような声だった。
 「りょう、うれしいわ」
 「違うんだ、ナナセ。お前を選んだから、ここに来た訳じゃない」
 「ちがう? あたしをえらんでくれたから、ここにきたんじゃ、ないの?」
 「ナナセ、俺は……」  
 涼は一瞬、言い淀んだ。なぜなら、その言葉は確実に今の七世を壊してしまうものだと、理解っていたからだ。しかし、七世を壊してしまうリスクを負ってもなお、もう自分の気持ちを偽ることなど、できなかった。
 「俺は……お前を選べないんだ。俺が好きなのは、やっぱりーー」  
 涼が更に言葉を紡ごうとした瞬間、茶色い何かが自分の顔を目がけて飛んでくるのが見えた。投げられたのはベッドサイドに飾られていた、クマのぬいぐるみで、それを投げたのは七世だと理解するのに、そう時間はかからなかった。
 「どうして、あたしじゃだめなの。あたしのほうが、ずっと、ずっと、りょうのこと、わかってあげられるのに」
 「ナナセ」
 「どうして、あのこ、なの。あのこはいっつもだれかにまもられてるから、わらえてるだけ、なのに」
 「ナナセ……仮にお前の言葉が正しかったとしても、やっぱり、俺はアイツを、五月を選ぶよ」  
 今度は何が飛んで来るんだろうと涼が覚悟していると、予想に反して、七世の動きが止まった。微かにその肩が震えているのだけは、判った。
 「……やっぱり」
 「え?」
 「やっぱり、リョウは残酷、だね」
 「ナナセ」  
 涼は低い声で七世の名を呼んだ。しかし、七世はリョウの声を無視し、更にこう続けた。
 「あたしが壊れても、気持ちは曲げないんだから」
 「そ、それはーー」
 「薄情だよね、本当に。あんなに、あんなに抱き合ったりしてたのにさ」
 「ナナセ」
 「あんなに一緒だったのに、似てたのに……どうして、結末(おわり)は違うのよ?」


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