第四章

突き放す優しさ 1

  「……まぁ、字体も内容もそう悪くないと思います。それでは、これをお届けするということでよろしいですね? 」  
 峰谷のその言葉に涼はほっと安堵の溜息をついた。というのも、佐山たちにけしかけられて、あゆみに何とか事情を説明する手紙を書いたはいいものの、峰谷から「この字体では五月様は手紙の内容を理解なさるかは甚だ疑問でございます」とか「内容があまり芳しくありません」だのと散々な駄目出しを喰らい、何度も書き直しをしたからであった。その書き直しの途中、佐山たちは「悪い、帰りが遅くなると親に次の練習に出して貰えねーから」と帰ってしまい、実質的には峰谷と二人きりで何とか書き上げた手紙だった。
 「……ああ、頼めるか? 」
 「ええ、ちゃんと……」
 峰谷はスタジオの入り口である防音ドアにはめ込んである、マジックミラーの窓をちら視線を向けた後、何とも言えない微妙な表情を浮かべた。
 「どうした? 」  
 微妙な表情を浮かべた世話係の態度に涼は不審そうにその視線を追った。
 「ナナセ……」  
 ドアの向こうに立っていたのは、どこか暗い表情を浮かべた七世だった。峰谷が少し戸惑うような表情を浮かべた後、涼にどうすべきかを視線で問うた。
 「……開けてやれ」  
 涼がそう指示すると、峰谷は「いいんですか? 」と心配げな表情を浮かながらドアを開け、七世をスタジオに招き入れた。
 「……どうした? 」  
 涼は七世にそう問いかけたが、彼女はそれに答えなかった。その代わり、七世はぎゅっと涼に抱きついた。
 「ナ、ナナセっ?! 」  
 抱きつかれて戸惑う涼に対し、峰谷が七世の背後で「あーっ、だから言わんこっちゃない」と言わんばかりに困った表情を浮かべる。
 「……ナナセ、どうしたんだよ? 何かあったのか? 」  
 涼は自分の胸に縋り付く七世をどうにか引き剥がした後、再び問うた。だが、また七世はその返事の代わりのように、涼の唇を自分のそれで塞ごうとした。だが、涼は咄嗟に顔を背けると、半ば突き飛ばすように七世の身体を自分から離すと、慌てて背を向けた。涼に突き飛ばされた七世を峰谷が慣れたように受け止めると同時に、これ以上彼女が彼に近づかないように、拘束した。
 「……何でよっ、何でなのよっ! 」  
 七世はまるで駄々をこねる子どものような、甲高い声でそう喚き散らした後、自らを拘束していた峰谷の腕を払いのけ、灰色のカーペットが張られた床に泣き伏した。
 (ヤツハ絡み……だろうな)  
 七世のその荒れっぷりに、涼はふっと深い溜息をついた。七世には八葉が自分とあゆみに一体何をしたのかを知らせずにいた。それは七世に対する思いやりではない。ただ、これ以上七世にあゆみに関連する、大切な自分の領域(ココロ)に踏み込まれたくなかったからだ。
 (もう……お前とヤツハがどうなろうと、俺には関係ねーよ)  
 七世の泣き声に背を向けながら、涼は悪態をついた。最初は自分の恋だけが上手くいっていいものかと罪悪感を感じ、八葉と七世の恋を応援するために彼女との嘘の見合い話を引き受けたはずだ。それがいつの間にか、その応援していた恋の片割れのせいで自分の恋まで危機的状況に陥っている。七世には罪はないと理解ってはいたが、すんなり彼女に同情する気にはなれなかった。
 「……どうか、なさったのですか? 」  
 どうやら泣いているうちに落ち着いたらしく、不意に七世の泣き声が止まった。だが、涼は相変わらず背を向けたままだった。そんな涼の代わりに、峰谷が穏やかな声で七世にそう訊ねた。七世はふっと深い溜息をついた後、泣いて嗄れた声でぼそぼそとこう呟いた。
 「裏切られた、のよ」
 「は? 」
 「ヤツハ……あの狸親父から金貰ってたのよ」
 「は? 」  
 涼がそう問い返すと、七世は先程よりはっきりとした口調で更にこう続けた。
 「あたしと別れるからって……ずっと、さ、親父から金、巻き上げてたんだって」
 「……つまり、お前は金蔓だったのか? 」  
 我ながらデリカシーのない発言だと思いながらも、涼はきっぱりとそう言った。今、七世にどんな優しい言葉をかけても、無駄だろう。七世と八葉の関係にはもう救いがない。
 「そうよ……それでね、新しい金蔓(ターゲット)を見つけちゃったから、あたしはもういらないんですって」

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