第三章

廻りだした歯車 7

 『風月堂 和風カフェ』といっても、別に店に小洒落た別館があるわけではない。ただ、店の奥にある中庭の所々に竹で作られた縁台がいくつか並べられているだけだ。そこに座り、涼は緑茶を啜っていた。隣ではあゆみが美味しそうに『陰陽兎』を食べている。顔から食べるのはさすがに残酷な気がすると、丸い尾の方からちょこちょこと囓っている。涼自身はそういう考えに対して、結果的に食べてしまうのだから、残酷も何もないんじゃないかと思うのだが、あゆみは真面目にそう思っているらしい。まぁ、ここまで美味しそうに食べて貰えるのだから、『陰陽兎』もそれを作った職人も嬉しいだろう。
 「……お前って、食べる時に本当に幸せそうな顔すんのな」
 「……鳴沢君も食べます? これ、そんなに甘くないですよ? 」  
 白あんの『陰陽兎』を食べ終えたあゆみは、その言葉に、まだ残っていた、黒あんの『陰陽兎』を皿ごと涼に差し出した。
 (ここで、恋人同士なら『あーん』とか食べさせてくれるんだろうな……恋人じゃない、もんな。まだ)  
 皿を差し出され、涼の脳裏にそんな考えがふっと過ぎり、苦笑いが自然と唇から零れた。すると、あゆみの表情が先程までの幸せそうなものから、一気に不安げなものへと変わった。
 「鳴沢……君? 」
 「いや……ん、貰う、貰う」  
 あゆみの表情を陰らせてしまう自分が嫌で、涼は慌てて皿の上から、黒の兎をひょいとつまんで、ぽいっと口に放り込んだ。だが、それがいけなかった。
 「……がはっ、げほっ、んっ」
 「だ、大丈夫、ですか! 」  
 あんが気管に入ったのか、涼は思い切り無様に咽せた。あゆみが慌てて背中をさすりながら、緑茶を差し出したので、涼はそれを受け取って、一気に飲み干した。
 「……悪りぃ、な」
 「い、いえ……」  
 涼が何とか落ち着いたのを見てあゆみはすぐにほっと安堵の表情を浮かべたが、すぐに何かに気づいて、何故か頬を染めて俯いてしまった。
 (え? )  
 涼はそんなあゆみの様子を不審に思い、ちらりと視線を走らせ、その理由に自らも赤面した。
 (俺の茶碗にはまだ茶が入ってる……ってことは、さっき俺が飲んだのは――)
 「……ご、ごめんな」
 「いえ、私も慌ててたから……その、何か、ごめんなさい」
 (うわわ、ど、どうしよ、どうしよ)  
 他の女とキス、いやそれ以上のこと経験したことがあるというのに、あゆみと事故とはいえ、間接キスをしただけでこれほどまでに動揺するとは、涼自身予測していなかった。
 (まぁ、それくらい、好きってか……惚れてるってこと、だよな)  
 動揺する自分とそれを冷静に第三者の目線から観察している自分が頭の中にいることに、涼はふっと苦笑いを微かに浮かべた。だが、あゆみに気づかれる前にと、慌ててそれを消した後、真剣な表情を浮かべた。
 「……なぁ、五月」
 「はい? 」
 「今度からさ……その、暇な時でいいんだけど、その、こんな風に会えねーか? 」
 「……え? 」  
 不意にあゆみの表情が動揺したものに変わる。涼は慌ててこう付け加えた。
 「その……五月が俺に逢いたいって思ってくれた時にさ、こうやって甘いモノ食べながら、お喋りするとか、さ」  
 それがとてつもなく卑怯な言い方だというのは涼も理解っていた。だが、いきなり「付き合ってくれ」と言って、いくら両想いだとしても、あの姉たちによって超弩級の箱入り娘に育てられたあゆみがその言葉に素直にこくんと頷くはずがない。これから何とかちょっとずつちょっとずつ距離を詰めていけばいい。性急にことを進めて、戸惑わせて気まずくなるだけだ。だからこそ、曖昧な言葉で今後の約束を取り付けようとする。
 「……嫌、です」  
 だが、あゆみは真面目な顔できっぱりとそう言い放った。
 「え? 」  
 涼の手からぽろりと茶碗が落ちた。だが、下は柔らかな苔だったため、茶碗は無事だった。だが、中身の茶だけがすぅっと地面に吸い込まれていった。更にあゆみがこう続けた。
 「鳴沢君が私に逢いたいって思って下さる時にも……こうして、お喋りとか、したいです」  
 可哀想なくらいに真っ赤に染まったあゆみが可愛らしくて、涼は思わず笑い出していた。

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