第三章

廻りだした歯車 6

 「五月? どうしたんだよ」  
 好きな女の子が帰りを待ってくれていた、そんな絶好のシチュエーションに内心嬉しさを感じつつも、周囲の目を気にした涼は素っ気なく声をかけた。
 「えと……あの、ちゃんとお礼、言ってなかったので。その、創立記念週間が終わっちゃうから、明日、学校に帰る前にちゃんと言わなきゃいけないなって」  
 あゆみはぽそぽそとそう俯きがちにそう答えた。顔は俯いているせいでよく見えないが、髪の毛から覗く耳が桜色に染まっている。
 「ああ……そう。けど、お前の学校の創立記念週間とか、随分長い休みじゃねー? もしかして、その分、他の休みが削られてる? 」
 (俺、何でこんなこと訊いてるんだろ。ってか、知りたいのはそういうことじゃなくて)  
 涼のそんな問いかけに、あゆみは相変わらず俯いたまま、ぽそぽそとこう答えた。
 「はい。そ、その分、夏休みが始まるのが1週間ほど遅いんです。その、また週末はこっちに帰ってくるんですけど……」
 「ふぅん……」  
 気のない返事をしながら、涼は必死であれこれと頭の中であゆみへの言葉を探していた。七世との問題も解決したというのに、もう想いを告げてもいいというのに、それをどう伝えればいいのか、言葉が見つからない。
 「その……後から言おうって思ってると、結局、また、言えなくなりそう、だから」
 「え? また、言えなくなるって……? 」  
 涼のその問いかけにあゆみは答えずに顔を上げ、頬をほんのりと桃色に染めながら微笑み、静かにこう続けた。
 「鳴沢君、色々ありがとうございました」
 「いや、それは別にいい……なぁ、五月」
 「はい? 」
 「お前の用はそれだけ? 」
 「……はい、それだけ、です。お時間を取らせてごめんなさい、ご迷惑でしたよね」  
 どうやら自分の来訪は涼にとって迷惑だったと判断したらしく、あゆみは慌ててそう言って立ち去ろうとした。だが、その手を涼はぐっと掴んだ。
 「いや、だからっ、その、迷惑とかじゃなくて……時間、まだ、あんだろ。その、近くの店でさ、甘いモン喰わない? 」
 「え? 」  
 あゆみが涼の言葉にきょとりと首をかしげた後、おそるおそるこんなことを訊いてきた。
 「でも、鳴沢君……甘いモノ、駄目ですよね」
 「ん、駄目だけど……その、もう少しだけ、一緒にいたいというか、その、何だ。家には送ってくから」
 (すげー下手な誘い方。ってか、何でこういう時に限って、上手いことが言えねーのかな)  
 自分の余裕の無さを内心恨みつつ、涼はあゆみの返事を待った。すると、あゆみはまるでほわっと擬音でもつきそうなくらい、柔らかい安堵の笑みを浮かべ、こくんと頷いた。
 「……五月はさ、何が好き? 」
 「え? そ、そうですね……特別はない、かな。甘いモノって、食べるだけで幸せになりますから」
 「……つまり、何でも好きってこと? 」
 「はいっ」  
 あゆみがあんまり素直にそう答えるものだから、涼は思わずぷっと吹きだした。
 「え? 私、変なこと、言いました? 」
 「いや……別に」  
 涼は曖昧に笑い、そう誤魔化そうとした。本当は可愛いなぁと思ったのだが、以前あゆみに素直にそう言って、それまでのいい雰囲気が一転し、「からかわないで下さい」と激怒され、逃げられた苦い過去がふっと脳裏に過ぎったからだ。だが、今は状況が違う。まだはっきり言葉にはしていないが、お互いの気持ちは確かめている。しかし、それでも怖い。だから、涼は先程引き留めるために掴んだあゆみの手を、彼女を驚かせない程度にそっと柔らかく握り直した。ちらりとあゆみの方を見ると、手を握り直されたことに気づいたのか、だんだんと薄れつつあった、耳を染める桜色がまた濃くなっていた。
 「んと……その、苦手なものがないなら、その、和菓子でも食いに行くか? ほら、『風月堂』ってあるだろ? あそこさ、最近は和風カフェやってるからさ」  
 心地よい沈黙。それでも、何かを言わないとこのまま、甘やかなこの幸せで窒息してしまいそうで怖い。いや、窒息してしまいたい、そんな衝動を振り払うように、涼はぶっきらぼうにそう口にすると、歩き出した。
 「え……あ、はい」  
 涼のその言葉に、手を繋いでいるからもあるだろうが、あゆみはきょとりとした声で返事をした後、遅れまいと慌てて付いて来る。
 (何か、鳥のヒナっぽいな……)  
 あゆみのそんな健気な様子に、涼は再びくすっと口元に小さな笑みを浮かべた。

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