第三章

廻りだした歯車 5

 「……物騒な事件があったらしいぜ、昨夜」  
 その翌日、「ROA」の練習が終わった後、佐山が不意にそう言った。
 「らしい、な」  
 涼は短くそう相槌を打つと、ペットボトルに入った水を飲み始めた。
 「ああ……『ノワール』と『プリンセス』の連中がヤバめの薬を売り捌く相談してて、警察が独自調査でそこに踏み込んだんだろ? 俺、今朝だけは新聞読んだぜ」  
 佐山の言葉に、本宮がここぞとばかりに食いつく。
 「本宮君、そろそろ真面目に新聞を読んだ方がいいですよ。この前、日本の首相を答えられなかったじゃないですか」
 (ああ、後始末ってこういうことか……まぁ、警察も「薬物摘発」って大手柄があるから、俺らには目を瞑ってくれたんだろうけどな)  
 新聞には昨夜の殴り込みについては一切触れられていない。峰谷が警察の方には上手に手回しをしてくれたらしい。更に本宮と長屋の会話は続く。
 「いいんだよ、あんなオッサンの名前なんか覚えるためのスペースは俺の頭にはないの。ってか、可愛い女の子の名前を覚えるために俺は脳内スペース空けてんだよ」
 「脳内スペースって……本宮君の脳を輪切りにしたら、きっと女の子の名前しか出てこないんでしょうね」
 「おう。俺、女の子の名前のテストがあるんなら、間違いなく満点取れるね」
 「んなテスト、ねーし……ってか、お前があっちの名前覚えてたって、あっちがお前の名前覚えてねー場合、意味無くないか? 」  
 話題をそっちの方向に完全に変える為に、涼がぼそりとそう言うと、本宮ががっくりとうなだれた。慌てて、長屋が涼に耳打ちした。
 「だ、駄目ですよ、それを言っちゃ。この前の同窓会の二次会でメルアド交換した娘たちにメールしたら、シカメされたり、『誰? ごめん、覚えない〜っ』って返信が来たらしくって、一応あれでも落ち込んでるんですから」
 「……気の毒に」
 「ええ、気の毒なんです……で、昨夜の真相ってどんな感じだったんですか? 」
 「え? 」  
 長屋に不意を突かれ、涼は思わず間抜けな声をあげた。涼の顔に6つの瞳が集中する。
 「……お、お前ら、謀ったな」
 「いや、だって……お前、今日の朝、五月さんの家から出て来たろ」  
 確かにそうだった。涼はこのまま帰ると言ったのだが、何を考えたのか、アユミが涼の腕を掴んだままで、眠っているあゆみにわざと交代した。腕をしっかり掴んでいるあゆみを振り解くわけにもいかず、涼はそのまま彼女の家まで行き、泊まるしかなかったのだ。
 「……い、いや、それは深い理由があって。ってか、お前らに聞かせるような艶っぽい話はねーから」
 「……でも、お前、五月さんのこと異様に避けてたのに、何で家に泊まるんだよ。つまり、俺らが知らねー間に二人の間に何かあったってことだろ? 」  
 本宮がここぞとばかりに食いつく。半ば自棄なんだろうなと思いつつ、涼は笑って長そうとした。だが、佐山が更にこう続ける。
 「まぁ、五月さんの姉さんって『プリンセス』の初代リーダーだったらしいし、お前は左頬に怪我してるし……その、俺らみたいなのに話したくねーんなら、もう聞かないけど、さ――」  
 佐山の口調があんまり寂しそうなものだから、涼の良心がちくりと痛んだ。
 「い、いや、そうじゃなくて……いいか、今から言うことは絶対オフレコだからな」  
 そう前置きをして、涼は佐山たちに七世との問題も含め、事の次第を説明した。ただ、まだ告白というプロセスに至ってはいないが、あゆみと気持ちが通じ合ったことだけは秘密にしておいた。それは大事な秘密だった。
 「へぇ、そうだったのか。良かったな、涼」  
 話を一通り聞き終え、不意に佐山がぽんと肩に手を置いた。その表情は何故か生温い。
 「ありがと。けど、何だ、その生温い表情は」
 「いや……うん、何かお前、可愛いな」
 「うげっ、気持ち悪っ。ってか、何だよ」  
 涼が本宮や長屋の方を見ると、二人とも佐山と同じように生温い表情を向けてくる。
 「だーかーらっ、何なんだよ、お前らっ」
 「いや、だからかぁと思ってさ……」  
 本宮が練習スタジオの廊下を指すと、小さな影が慌てて隠れた。
 「……行けよ。後片付けは俺らがやるから」
 「ええ……あんまり待たせちゃ駄目ですし」
 「ああ……興奮して、先走るんじゃねーぞ」  
 めいめい勝手なことを口走っている仲間たちに別れを告げ、涼は照れくさそうにスタジオを出ると、廊下の小さな影に声をかけた。

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