第三章

廻りだした歯車 3

 「……春先の犬か猫の声、聞いてるみたい」  
 「ノワール」の根城であるライブハウスの前に立った時、それが全員の一致した感想だった。小さな割れた小窓から中の様子を伺った後、タエがしかめっ面をして呻いた。 
 「……若気の至り、だよね。ってか、教育に絶対良くない」  
 外まで響く嬌声とタエの言葉から室内では『パラダイス』を飲んだ連中が動物的本能のみで行動しているのだろうと、涼は察した。そして、頼むから、その集団に愛しい少女の姿がないことを祈っていた。どうやら理亜も同じような気持ちだったらしく、視線が合うと、複雑な表情で笑った。
 「……人を呼びつけておいて、お楽しみとは随分と舐められるっすね」
 「……シメていいんだよね? 最近、仕事のストレスが溜まってるから」  
 そんな物騒なことを嬉々として呟いたのは、アコだ。すると、ミサキが呆れたように溜息をついた。
 「あたし……アンタが勤めてる幼稚園には絶対子ども預けたくないな」
 「何言ってるの? あたし、子どもにはすっごく優しい先生なんだからっ」  
 この4人も理亜と同じように『プリンセス』を卒業した後、それぞれしっかりとした職業に就いているのだろうと涼は思った。その職業を賭してでも、守りたいものがある。だからこそ、ここに集まったのだろう。
 「奥に部屋が一つあるね。連中の中に姿が見えないから、多分、あそこに妹ちゃんはいると思う。男が8、女が5……うわぁ、飢えてるんだろうね、可哀想に」  
 タエに代わって、小窓を覗いたケイが室内の様子を伝える。
 「……獲物はあるっすね? 」  
 理亜の言葉に、4人はそれぞれが木刀やチェーンやらをごそごそと特攻服から取り出した。
 「ん、当然。持ってきてないわけ、ないじゃん。久しぶりに暴れてやろうじゃない」  
 ケイのその言葉に満足したように頷いた後、理亜もよく使い込んである木刀をすらりと取り出した。どうやら、丸腰なのは涼だけらしい。だから、その辺に転がっていた手頃な鉄パイプを拾って、獲物にすることにした。
 「そういえば……アンタ、誰? 」  
 今頃になって涼の存在に気づいたのか、ミサキが急にそう訊ねてきた。涼がそれに答えようとすると、理亜がにたりと普段のあの人懐っこい表情で代わりにこう答えた。
 「自分の未来の義弟っす……」
 「え? 義弟って……ああ、君、そっちのヒトなんだ。残念、好みなんだけ――」  
 タエが何だか残念そうにそう呟くのを遮って、理亜が低いドスの利いた声で告げる。
 「さぁ、乗り込むっすよ」  
 理亜を筆頭に安普請っぽいドアを蹴破ると、カウンターやテーブル、ステージをベッド代わりにした男女が獣のように戯れている姿が視界に飛び込んできた。まぁ、一応はこうして理亜が乗り込んで来ることは予測できていたのか、全裸の者はいなかった。
 「常識ないんだな、おばさんたちは。こんな時に来るなんて」  
 ジーンズをもそもそと引き上げながら、上半身を露わにした、その場にいる連中の中ではリーダー格と見える金髪の青年がのそのそと近づいてくる。
 「そりゃ、悪かったっすね。でも、人の家の妹を拉致っといて、楽しんでる方がよっぽど常識ないっすよ」  
 理亜がきっぱりとそう言い放つと、青年は肩をすくめた。
 「まぁ、いいや。今、おばさんの妹ちゃんで、リーダーは楽しく遊んでるから、その間は俺らが相手してやるよ」  
 青年のその言葉にさっと理亜の顔色が変わるのを目の当たりにしながら、涼もきゅっと唇を噛んだ。だが、最悪の事態を想定して動きを止めてはいられない。青年の合図とともに、『ノワール』の集団がわっと襲いかかってくる。コトの最中だったということもあり、ほとんどが半裸だ。時折ちらりと身体の際どい部分が見え隠れするのだが、そんなことは誰も気にしない。『プリンセス』の女たちは男たちが勝つと思っているのか、行為の余韻に浸っているのか、恍惚とした表情を浮かべ、壁際でことの次第を見物している。
 (てめーらに構ってる暇はねーんだよ、ザコ。ってか、獲物なんかいらねーな、こいつらに)  
 涼はそんな事を想いながら、一番最初に勢いよく飛びかかってきた、グリーンの髪をした男の腹を思い切り蹴り上げた。そして、次に殴りかかってきた銀髪の男は腕をねじり上げ、蹲る男の上に叩きつける。鍛え方が足りないのか、二人はまるで潰されたカエルのような無様な悲鳴とともに、動かなくなった。
 (うわ……相手になんねー。弱すぎ)  

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