第三章

廻りだした歯車 2

 涼が店を出た途端、黒い布地に鮮やかな刺繍が施された特攻服を纏った女が目の前に立ちはだかった。峰谷が蹴散らそうとするのを手で制しながら、涼は女に静かに話しかけた。
 「理亜さん、どうしたんですか? 」
 「……鳴っち、手を引けっす。これは、自分たちの問題っす」  
 理亜はそれまでの関わりで見せていた人懐っこい表情など一切忘れたかのような、厳しい表情でそう涼に言い放った。
 「手を引け、か……俺に一切関係ねーだろ」  
 涼のその言葉に理亜の表情が安堵の色に染まりかけた。だが、涼は間髪を入れずに、さらにこう続けた。
 「そう、『プリンセス』や『ノワール』がどうなろうと、俺の知ったこっちゃねー。けど、アンタに何かあって、五月が泣くのだけは嫌だから。悪いけど、手は引かねーよ」  
 不意に理亜が涼の襟元を掴んで、拳を振り上げようとした。だが、その拳が振り下ろされることはなかった。ただ、必死で喉から絞り出すような声で、理亜はこう続けた。
 「だから、手を出さないで欲しいっす。それが、あいつらの条件、なんす」
 「え? 」
 「『プリンセス』のことに一切口を出すなって、言われたんす。そうすれば、あの娘は無事に返すと言われたんす」  
 「あの娘は無事に返す」という理亜の言葉に、涼は思わず眉を顰めた。つまり、そこから判断するに、「プリンセス」と「ノワール」の連中の人質として、あの娘、つまりあゆみは拉致されてしまったらしい。
 「いつから、だよ」  
 涼は必死で平静を保ちながら、理亜にそう問いかけた。だが、もう理亜に敬語を使う余裕は残っていない。すると、理亜がぼそぼそとこう答えた。
 「ついさっきっす……コンビニに牛乳を買いに行ったまま、帰って来なかったんす。んで、ウチに電話がかかってきて――」
 「おい、人質取るような卑怯な連中の言葉、信じんのかよ? 」
 「勿論、信じられないっす……でも、あの娘に何かあったら、自分は、自分たちはもうどうしようもないっす」  
 理亜の頬からつぅっと雫が零れ落ちる。連中の言葉を素直に信じるほど、理亜も無知ではないだろう。だからこそ、昔の衣装を身に纏って、連中のいるライブハウスに単身乗り込むつもりだったのだろう。だが、いくら理亜が腕っぷしが強かろうが、「ノワール」と「プリンセス」の連中を一人で相手にするのはほとんど無謀な行為だ。
 「……行くぜ、俺も。アンタが今さらどう言おうと、俺はあんたの義弟になんだろ? 」  
 理亜が力を緩めたのを見計らって、涼は襟元を掴んでいた彼女の手をそっと外した。
 「鳴っち……」
 「……警察には言ってねーんだろ? 」
 「それも……条件だったっすから。でも、怖いんす。いくら、あーちゃんが腕っぷしが強いからとはいえ、妙な真似されてたらって思うと――」  
 理亜は身体を小さく震わせる。その脳裏には、とても言葉に出来ないむごたらしいことを連中にされている、あゆみの姿が浮かんでいるのだろう。だが、そうやって最悪の事態を想像していたところで、話は始まらない。
 「……理亜さん」
 「理解ってるっす。ここでうだうだ考えても、仕方ないっす」  
 理亜はまるで余計な考えを振り払うかのように首をふるふると横に振った後、それまで俯いていた顔を上げた。そして、涼に視線で合図をすると、すたすたと歩き出した。すると、すぐにその背後からこんな声がかかった。
 「…リア、水くさいじゃん。ってか、二人で大勢相手にするのってカッコいいけど、無謀過ぎじゃん。あたしらも一応関係者なんだから、一枚噛ませてよ」  
 理亜はその声の主に心当たりがあったのか、ぱっと振り向いた。涼もつられて振り返ると、そこには理亜と揃いの衣装を纏った、女たちが腕組みをして微笑んでいた。理亜が顔をくしゃくしゃにして笑う。
 「ミサキ……それにアコ、ケイ、タエ。あ、あんたら――」
 「一応、『プリンセス』を創ったのはあんただけどさ、その経歴に泥塗られちゃ、初期メンバーとしては放っておけないじゃない」  
 ミサキと呼ばれた女はそう笑った。どうやら、この4人は『プリンセス』の初期メンバーらしいと、涼は話の内容から判断した。
 「ありがとうっす……でも、ケイ、子どもは、カズ君はどうしたんすか? 」
 「ああ、一応旦那に事情話して預けてきた。『まぁ、当然の怒りだ。潰して来い』って送り出してくれたわ。楽しみだわ、潰すの」  
 ケイはまるで狩りの前の猫のように笑った。  

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