第三章

廻りだした歯車 1

 七世が刺されてから一晩経たないうちに、「『プリンセス』のリーダーが変わったらしい」という話は街中に広がっていた。 
 「……でさ、新しいリーダーってのが、ウチのリーダーのコレらしいよ」  
 行きつけの店のカウンター席、髪を金に染めている男が小指を突き立てながら、連れの茶髪の女に甘く囁いていた。男は女だけに内緒話をしているつもりらしいが、離れた席に座っている涼にもその内容はよく聞こえた。
 「へぇ……じゃあ、アレも『プリンセス』のパフォーマンスの時に扱うってこと? 」
 「ああ……前の奴はそーゆーのきっぱり嫌がってたけど、今度のリーダーはカノジョだし、むしろ売れ売れって感じ。しかも、メンバーの殆どが飲んでんだぜ」
 「マジ? ってか、アレって結構お手軽だし、すっごく効きがいいよね。ケンジが『ノワール』に入ってるから、安く手に入るしぃ」  
 どうやら、ケンジという男は『ノワール』に属しているらしい。
 「ああ……アレ飲んでる時のお前、最高だもん。アレなきゃ、楽しめねーよな」
 「ええ、あたしだけぇ? ケンジだって最高じゃん。アレ飲んでる時はまるで別人だしぃ」
 (クスリ無しじゃ楽しめねーなんて、よっぽどお粗末なんだな、アンタらの内容)  
 二人の会話に涼はノンアルコールのビールが入ったグラスを片手に、ふっと微苦笑を浮かべた。だが、すぐに思考を切り替えた。会話の中に出て来た「アレ」とは七世が言っていた、『パラダイス』のことだろう。七世のことは心配ない。ただ、自分が創った「プリンセス」が合法ドラッグの売人集団になったと知った理亜の動きが心配だった。
 「……多分、遅かれ早かれ、理亜嬢の耳にも噂は入る、でしょうね」  
 涼の隣に座り、同じくノンアルコールのビールを片手にチーズをつまんでいた峰谷がそんな彼の考えを読んだように、そう呟いた。
 「……ああ、理亜さんなら確実に乗り込む」
 「ええ……他のOGの方々も一緒に乗り込む可能性も大でしょう」
 「……ヤバイよな」
 「ええ、確実に……だいたい、背後(バック)には怖い黒服のお兄様方がいますし。まぁ、今は取り締まりが厳しいですから、直接は手を下さないとは思いますが、手助け程度はあるでしょう」
 (手助けね……けど、一応は連中の収入源ってことだろ? そこを潰されるとなると、手助けじゃ済まねーよな)  
 涼がそんなことを考えていると、不意に目の前にコトリと氷水の入ったグラスが置かれた。いつの間にか、無愛想だった中年の店のマスターが見慣れた老紳士に変わっていた。しかも、客も涼と峰谷だけになっている。
 「……桂さん、いつの間に転職したの? 」  
 涼は見慣れた老紳士、もとい祖父の執事である、桂にそう問いかけた。
 「いえ、転職ではございません。最近流行の『異職種研修』でございます。一度、こうしてカウンターでシェイカーを振ってみたかったと申し上げましたら、大旦那様が手配してくださって」  
 桂は穏やかな口調でそう言うと、さり気なく氷水入りのグラスの紙製コースターを見て、ウィンクをした。
 (祖父さんからの伝言か)  
 涼はグラスの下からコースターを引き抜き、ちらりとコースターの裏側に印刷されていたイラストに視線を走らせた。その背に「K」と白抜き文字で書かれた大きな黒トカゲが自らの尻尾を噛み切るという、いささか不気味な図が描かれている。
 「……ああ、なるほど」  
 その図柄が表す祖父からの伝言を理解した涼は気のないふりで、イラストを表にして再びグラスの下に置いた。すると、絵が急にするすると消えていく。どうやら、特殊なインクで印刷されたイラストだったらしい。
 「……『K』って、蔵田興産のこと? 」
 「お察しの通りです。あちらの会長と大旦那様は昔からのお知り合いでしてね。今回の件については、随分とご立腹でしたよ」
 「……まぁ、『蔵田興産』と言えば、『日本の古き良き仁義集団』だとか言われてたな」
 「ええ……傘下(した)の者たちの処分は今日中に行うとのことでした。ですから、その使いっぱしりを潰しても、問題はございませんし、五月様ご本人やお姉様方に危害が加わることもございませんから」  
 桂は相変わらず穏やかに微笑んだ。だが、その瞳はさすがにあの癖のある湧と組んでいただけあり、どこか油断しがたい鋭い光を放っていた。
 「……ありがと。祖父さんにも伝えて」  
 涼が席を立つと、峰谷がすっと影のように寄り添いながら、どこかへ電話をかけ始めた。

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