第三章

廻りだした歯車 16

 「まぁ、これで第一関門はクリアと言うわけですが……涼様、一番大事な方に黙っておくのは得策ではございませんよね」  
 涼の話を聞いた後、自分たちの昔を語るという口実で堂々とのろけだした祖父母を桂に任せ、涼は峰谷の運転で自分のねぐらへと戻っていた。運転をしながらそう忠告する峰谷の言葉に、涼は少々渋い表情を浮かべた。
 「ああ、それは理解ってる……けど、どう説明すんだよ? ナナセって名前を出した時点で、五月の場合、勝手に勘ぐって身を引きそうなんだよなぁ」
 「しかし、黙っていたら尚更ご不安になるでしょう……まぁ、平嶋様のお名前は出さずとも、『親の都合で見合いをすることになったけど、あくまで顔立てるだけだから』とは説明をなさっていた方が良いかと思いますが」
 「……その、『見合い』ってだけで完全に五月の場合、勘ぐりそうじゃね? 」
 「まぁ……五月様のご性格上、それは否めないでしょうね」  
 峰谷の溜息混じりの返答に、涼はくっと眉を顰めた状態で、あゆみに今回のことをどう説明すればいいのかを必死で考えていた。あの時、二つ返事で引き受けたものの、今となってはその時の自分をできることなら殴ってやりたい。
 「……まぁ、あーちゃん様には事実をつまびらかに申し上げていた方が後々そう悪いことにはならないと思いますが」
 「そう悪いことって……ああ、まぁ、多分、それが一番だろうな」  
 確かにアユミにだけは、人の心を読む能力を持つ彼女に対して二度手間かもしれないが、真実を包み隠さず話しておいた方が良い。ただ、アユミはそれをあゆみにどう告げるのか、それが一番の頭痛の種だった。峰谷もそれが理解っている。だからこそ、「悪いことにはならない」とは言わず、「そう悪いことにはならない」とわざわざ含みのある言い方をしたのだ。
 (ったく……せっかく週末に逢えるのに、余計な問題(こと)、抱えこんじまったな)  
 涼がそんなことを考えていると、不意に涼の携帯がリロリロと可愛らしいオルゴールのメロディを奏で始めた。そのメロディが聞こえてきた途端、涼は慌てて座席にきっちり正座すると、一度咳払いをした後、電話に出た。
 「も、もしもし? あの、鳴沢君、ですか? 」
 「ああ。五月、どうした? 」  
 表情はあゆみからの電話でかなり動揺しているのだが、声だけは何とか平静を装いつつ、涼は用件を尋ねた。
 「あの、今、ちょっとだけ、時間、いいですか? 」
 「ん、大丈夫だけど」
 「あ、あのですね、数学の補習を急に受けなきゃならなくなって、今週末はそちらに戻れそうにないんです……だから、その、せっかく約束してたのに、遊園地、行けないんです、ごめんなさい」  
 あゆみの説明によれば、彼女の学校で急遽抜き打ちの実力テストがあり、数学で前代未聞な点数を取ってしまったらしい。それゆえ、今週末は学校で特別補習授業を受けねばならず、実家に戻って来られないらしい。つまり、今週末のデートの約束も駄目になってしまったわけである。
 「五月……お前、数学、苦手なのか? 家計簿はつけられるくせに」  
 学校の特別補習授業で逢えないことを責めても仕方ないと涼も理解っていた。だからこそ、あえて茶化した口調であゆみにそう訊ねた。
 「う゛……に、苦手というか、私、きっと証明とか、そういう数学の才能がないんです。家計簿はそーいうの関係ないじゃないですか」  
 涼の茶化した口調にあゆみは多分電話の向こうで微かに頬を膨らませ、口を尖らせていると思われるような、拗ねた声でそう呟いた。
 「……ああ、悪りぃ、悪りぃ。なら、来週にするか? 遊園地はそうそう逃げたりはしねーだろーから」
 「はいっ」  
 あゆみの酷く嬉しそうな声に、涼の胸がちくりと微かに痛んだ。
 (ああ、俺にもまだ良心ってやつがしぶとく残ってたんだな……五月、ごめん)  
 七世との見合いの件をあゆみに悟られなければいいだけの話なのだが、それでも胸の痛みは治まらない。すると、不意に受話器から流れ来た、あゆみの声のトーンが変わった。
 「もう受けちゃったんだから、仕方ないけど……マスコミ関係は注意してた方がいいわよ、バカ涼。落ち目の政党の幹事長令嬢と、大財閥の御曹司の縁談なんて、恰好のネタ」  
 アユミだった。その的確なアドバイスに涼は口元に苦笑いを浮かべるしかなかった。
 「ああ、気をつける、ありがとよ」

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