第三章

廻りだした歯車 15

 七世が帰った後、涼は峰谷の運転する車で、祖父の屋敷へ足を運んだ。報告のためである。
 「バカ孫め……それで、お前は平嶋の小娘の申し出をやすやすと引き受けよったのか」  
 今回の七世との経緯を一通り聞いた後、湧は黒焼締の猪口を片手に、どこか呆れた口調でそう訊いてきた。まだ夕方だというのに、縁側で酒を嗜む程度に、隠居というものは気楽な立場らしい。
 「ああ。今回はバカだの何だの言われようが、俺は反論できねーよ」  
 涼の言葉に湧はくいっと猪口を干すと、すっと彼にそれを差し出した。涼は傍らにあった、やはり黒焼締の徳利を手に取ると、その中身を差し出された猪口に注いだ。
 「ふん、珍しくしおらしいことを言いおって……さて、お前、今年でいくつになる? 」
 「数えじゃ15、実質は14」
 「ほぉ、15になったか……一昔前だったら、元服を迎える年じゃな。ならば、見合いの一つや二つ、経験しておいても、損はなかろう」  
 猪口をことりと置くと、湧はぽんぽんと手を軽く叩いた。すると、どこに控えていたのか、桂がすっと湧の傍らに寄り添った。
 「お呼びでございましょうか? 」
 「ああ。近日中に信民党の平嶋氏のご令嬢との見合いの席を設けようと思ってな」
 「信民党の平嶋の小娘とのご縁談でございますか? 大旦那様、御家訓では……」  
 さすがに家訓に反することへの抵抗があるのか、桂は多少渋い表情でそう言いかけた。だが、湧はそんな桂の言葉を遮るようにこう続けた。
 「案ずるな。後々、丁重に断るつもりだ。家訓に反する真似をワシがするとでも思っておるのか? 」
 「いえ、滅相もございません……ただ、後々断られるとはいえ、平嶋がそう簡単に納得して下さるとは私にはどうしても思えないのですが――」  
 あの全てにおいて丁重な桂が七世の父親に敬称をつけずに呼んだことに、涼は微苦笑を浮かべた。どうやら、桂は平嶋が嫌いらしい。
 「ワシもそうは思っておらん。ただ、肝心要の娘が結納直前で他の男と駆け落ち、失踪ともなれば……さすがにゴリ押ししてくることはなかろうて」
 「それはそうでございますが……平嶋は狸でございます。そう首尾良く物事が進むとは思われませんが」
 「確かにそうじゃな……首尾良くその男が令嬢を連れ出したとしても、連れ戻されては元も子もないな」  
 湧がちらりと涼の方に視線を投げかけた。その令嬢、七世を連れ出す予定の男、八葉がどれほどの人間かを説明しろということらしい。涼は微苦笑気味にこう答えた。
 「……ん、それが一番の不安要素だな。正直、押しが弱い上に頼りないんだよ、そいつ。多分、女の方が単独でコトを進めた方が成功率が高いとは思うぜ」
 「ふむ……今、流行りの『草食系男子』ということか? 」
 「『草食系』より性質(タチ)が悪いぜ」
 「つまり、男は頼りにならんということか……ふむ、それでよく駆け落ちだの何だのと――」  
 湧は「最近の若者は何と嘆かわしいことか」と言わんばかりにふっと眉をしかめ、腕を組んだ。だが、すぐに名案を思いついたと言わんばかりに、ぽんと膝を叩いた。
 「……ならば、その平嶋の小娘だけで上手く立ち回れば何とかなるよう、こちらが完璧に手筈を整えてやれば問題なかろうて」  
 湧は「これで良かろう」と言わんばかりに再び猪口を手に取り、その中身を干した。
 「ああ、なるほどね」  
 涼がそう相槌を打ちながら空の猪口に酒を注ぐと、湧がぼそりと低い声でこう呟いた。
 「ただ……これだけは頭に入れておけ。小娘が無事に逃げ出したとしても、その二人がどうなるかは、ワシらには責任が持てん」  
 確かに湧の言う通りだった。先程、七世は作戦として八葉をわざと怒らせ、喧嘩別れした形になった。後で七世が「あれは芝居だった」と言ったところで、押しかけたところで、すんなりとあの八葉が彼女を受け入れてくれるという保証はどこにもない。
 「……ん、そうだな」
 「まぁ、他人の話はここまでとして……お前の方は最近どうなっとる? 」
 「そうそう、私もそれがさっきから聞きたくて、うずうずしておりましたのよ」  
 急に座敷の障子がからりと開き、祖母の千代子が嬉々とした様子で話の輪に入ってくる。
 「千代子……」  
 湧は「可愛いなぁ」と言わんばかりの微笑を浮かべつつ、涼に「話せ」と視線で促した。そんな嬉々とした様子の祖父母に涼はどうにか平静を保ちながら、あゆみとの話を始めた。

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