第三章

廻りだした歯車 13

 「時間稼ぎ、だと? 」
 「実は……僕との関係を七世の親父さんは良く思っていないんです」
 「だろうな。野に下りたとは言え、元与党の幹事長の娘婿がどこぞの名の知れない町工場の平工員、しかもバツイチじゃ……体裁は悪いよな」  
 八葉の物言いに対し、多少苛ついていたせいだろう。涼は棘のある返答を返した。それに対して、七世がちらりと睨み付けてきたが、それは気にするほどのものではなかった。
 「……ですよね。だから、僕も一度は身を引こうと――」
 「ああ、知ってる。他の女に手を出して、そいつにカモられて結婚まで持ち込まれたんだろ? そーいう枝葉末節はどーでもいいが、だから、どうしたいんだよ? ってか、時間稼ぎったって、何の時間稼ぎかをはっきりさせろって」  
 涼の言葉に八葉はびくりと肩を震わせ、隣に座る七世に視線で助けを求めた。だが、涼はそれを許すつもりは毛頭無い。
 「あのさぁ……八葉さん、自分で説明しろって。いくら七世が弁が立つからって、いちいち助けを求めるとか、情けねーじゃん。 アンタ、反対されても、七世と一緒にいてーんだろ? 自分で説明くらい出来ねーのに、言うことだけは随分大きいんだな」
 「……くっ」  
 八葉がきゅっと唇を噛むのが分かる。だが、実際、今後八葉が七世との生活を望むのなら、立ち向かう相手は強大だ。これくらいのことを余裕で乗り越えない限り、勝算はゼロに等しい。七世もそれは感じているらしく、八葉にただ寄り添っているだけで、何も言わない。
 「……悔しいなら、何か言えよ」
 「ぼ、僕は……た、確かにキミや七世みたいに、弁が立たない。け、けどね、キミみたいにいい加減な男とは違うんだよ」  
 しばしの沈黙の後、八葉は絞り出すようにこう語り出した。語り口はたどたどしいが、その視線はきっと涼を睨み付けている。
 (いい加減か……本命の女忘れようと他の女に手を出すとことか、同じだろうが。ただ、俺はアンタみたいにカモられるようなヘマをしないだけだろ。同じ穴のムジナだっつーの)  
 八葉の言葉に内心ふっと微苦笑を浮かべながら、涼は黙って彼の話の続きを待った。
 「僕は七世を大事に思ってる……だ、だから、本当は正々堂々と彼女を家から連れ出したいって思ってた。けど、状況が変わったんだ。このままじゃ、七世は親父さんの道具にされて、キミみたいな女ったらしに無理矢理でも嫁がされて――」  
 そんな八葉の背後で峰谷が先程から微笑んでいる。いや、微笑んでいる割には、その額にうっすらと青筋が走っているのだから、内心は怒り心頭といったところだろう。ただ、そんな八葉の言葉に涼が何も言わず、無反応だから、微笑みつつ何もしないのであり、何かしら不愉快な様子を見せれば、すぐにでも行動するのは目に見えていた。
 「だ、だから……駆け落ちをしようと思ってるんだ。けど、それにも準備が必要になる。その間、疑われちゃ元も子もない。だからこそ、キミと見合いをして恋人のフリをして貰っている間に――」
 「ふぅん……随分と楽天的な計画だな」
 「え? 」
 「だって、そうだろ? 七世の親父さんは腐っても政党の幹事長だぜ? んな浅はかな計画にそうすんなりと騙されると思うか? 」
 「だ、だから……こうして頼みに来たんですよ。七世と見合いをして、付き合ったフリをして欲しいって」
 「随分な茶番だな。けど、ヒラシマさんよぉ、お前の親父さん、んな茶番に騙されるようなタマか? 」  
 涼は先程からずっと黙り込んだままの七世にそう話を振った。すると、七世は首を横に振って、きっぱりとした口調でこう言った。
 「ん、無理だね……ウチの親父、狸だもん。ヤツハの計画くらい、お見通しよね。リョウに言われて、何か目が覚めたわ。やっぱ、リョウが一番あたしには相応しいのかしら」  
 そんな恋人の言葉に八葉の表情がみるみるうちに歪む。そして、いきなり黙って立ち上がった。峰谷がわざとらしく、こう訊ねた。
 「おや、お帰りですか? 」
 「ええ……お邪魔しました。七世、鳴沢君とせいぜい幸せにな」  
 そんな捨て台詞を吐くだけの度胸があるなら何とか頑張れよという言葉が喉まで出かかるのを必死で堪え、涼は七世を見た。だが、どうやら七世は後を追う気はないらしい。玄関のドアを荒々しく開けて八葉が出て行ったのを見計らい、七世はふっと溜息をついた。
 「あのひと……バカ正直だから芝居は無理なのよ。だから、あたしが芝居してわざと怒らせておかないと、ボロが出ちゃうのよね」

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