第三章

廻りだした歯車 12

 「で……ご用件は? 」  
 一同が峰谷が用意した紅茶でひとまず喉を潤した後、涼はそう切り出した。すると、いきなり八葉はイスから立ち上がり、床に頭を擦りつけた。俗に言う、土下座スタイルだ。
 「ちょ、ちょっと、待って下さいよ。俺、あんたとは今日初めて会ったんだけど……」  
 いきなり八葉に土下座されたことに涼は戸惑いの表情を浮かべた。だが、そんな涼の反応をよそに、七世もそっと八葉に倣って、床に座って頭を下げた。
 「折り入って……頼みがあるんだ、鳴沢君」
 「い、いや、まず話を聞いてからで……と、ともかく、頭、上げてくれよ、二人とも」  
 土下座スタイルで懇願されたことへの戸惑いを露わにしながら、涼はどうにか八葉たちに頭を上げさせ、自分もぺたんと床に座った。
 「……で、その、頼みって? 」  
 涼は八葉にそう訊ねたが、彼はどうやら慎重な性格らしく、ごもごもと口をさせるばかりで、肝心の言葉が出てこない。それに業を煮やしたのか、七世がこう切り出した。
 「お見合い……して欲しいのよ、あたしと」
 「は!? 」
 「実はね……あたしの親父が、アンタとの関係を知ってね。『ちょうど良い』って、見合い話を進めてきたわけ」
 「ちょうど良い? 」
 「親父の党、負けちゃったでしょ。次回の選挙で何とか巻き返しを図るためにもってことらしいわ……娘の婚約者が鳴沢財閥の御曹司なら、それなりのメリットがあると思ってるんじゃないかしら」  
 確かに七世の言うとおりだった。与党ではなくなった信民党に対し、それまで見返り前提で支援してきた企業からの援助が減る、なくなるのは当然のことだろう。それゆえ、党全体の台所事情が厳しくなる。そうした中、幹事長ともなれば、その資金をどう捻出するかが、腕の見せ所であろう。今回の一件は、そうした状況を踏まえた上での、政略的縁談なのは言うまでもない。涼は肩をすくめ、クスクスと笑った。
 「ああ、なるほど……けど、ウチは政治家とはそういう関わりを持つなってのが家訓でね」
 「それは親父も知ってるわ、鳴沢家の『政ニ携ワル家ト姻戚ナルベカラズ』って金科玉条は有名だからね……ただ、あたしたちの関係を知られてるから、見合い前に断るのはちょっと厄介よ。痛くない腹も探られる」
 「……まぁな。ただ――」  
 涼は微苦笑を浮かべ、言葉を濁した。関係があったというのに、見合いをする前から断るということがあまり賢い選択肢ではないことは理解っている。ただ、それでも……。
 「ああ、妹ちゃんのこと、気にしてるの」  
 涼の曖昧な返答に七世がふっと呟く。すると、それまで黙っていた八葉が急に口を開く。
 「い、妹ちゃん? ま、まさか、鳴沢君の恋人さんは……じ、実の――」
 (うわ、コイツ、やっぱうぜぇ)  
 涼は内心の苛立ちをひた隠しにしつつ、きっぱりとそう言った。
 「いや、違うから……ヒラシマさんが妹ちゃんって言ったのは、彼女の先輩の妹だからです。あと、まだ彼女、じゃねーし」  
 最後の一言は言わなくても良かったかと思ったが、ついつい口から出てしまった。すると、七世が酷く呆れた口調でこう返した。
 「まだって……あれから三ヶ月も経ってるのに? ダメじゃん。何してんのよ? 」
 「黙ってろよ……いいんだ、今のままで。ちゃんと週末に逢ったりはしてる、し」  
 二人っきりじゃねーけどなと、内心苦笑いしながら、涼はそう言った。今のままでいい、というのは半分真実であり、半分嘘だった。このままでいいと思う時もある。でも、このままじゃ駄目だと思う時もある。そんな風に思う時の比率がまだちょうど均衡を保っているのだ。時折グラグラと揺れ動くが、まだ傾くことはない。この恋は、慎重に慎重に時間をかけて育てていくしかないと、覚悟を決めている。だからこそ、余計な火種は避けたい。七世はそれが理解っているせいか、それ以上無理強いするつもりはないらしく、黙り込んだ。ただ、当初の予想通り、八葉が鬱陶しいほど、おずおずとした様子でこう言ってきた。
 「……まだ、恋人さんじゃないんなら、引き受けても支障、ありませんよね? 」
 「いや、それは――」
 「べ、別に七世と結婚しろと言ってるわけじゃないんです。ただ、お見合いして、しばらく恋人のフリを装って欲しいだけですよ。それくらいしても、貴方に問題はないでしょ」
 「悪いが、大アリだ……ってか、アンタ、ヒラシマさんの恋人なんだろ? 何でそんな奴が見合いしろだの、恋人のフリしろだの、他の男に頼むんだよ」  
 涼の言葉に八葉は申し訳なさそうに言った。
 「その……時間稼ぎをして欲しいんです」

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