第三章

廻りだした歯車 10

 ――今週の土曜、リョウに会いたい――  
 七世からそんなメールがあったのは、それから三月ほど経ってからのことだった。
 「……お会いになられるので? 」  
 相変わらず峰谷はプライバシーといった観念が欠落しているらしく、携帯の画面を自然な様子で覗いた後、そう訊いてきた。
 「いや……土曜は五月と会う約束、してる」
 「そうでございましたよね。確か、遊園地に行かれる約束をなさってましたよね」  
 あれ以来、涼はあゆみとは週末ごとに会ってカフェで他愛もない話をする時間を持つようになった。とはいえ、あのあゆみ相手である、涼が望んでいたように関係は進むわけがない。峰谷が更にこう続ける。
 「友達以上、恋人未満から……ぷふっ、脱却できると良いですね」  
 それまで自分に近づいてくる女たちをいいように弄んでいた涼が相当苦戦している。それがとてつもなくおかしいのだろう、峰谷はどうにかこうにか笑いを堪えようと必死だった。そんな世話係の態度に涼は憮然とした表情でこう返した。
 「お前、相変わらず一言余計だな。ってか、絶対付いて来るんじゃねーぞ」
 「はい、承知しております……でも、旦那様と奥様のお供をいたしますので、あちらで偶然お会いするかもしれませんねぇ」  
 涼の憮然とした表情に愛おしげにその瞳を細めて、峰谷は茶目っ気たっぷりにそう言い放った。
 「はぁ? 」
 「いや、涼様の今後のご予定を旦那様と奥様にお知らせするのも世話係である、私の仕事なのでございます。。それで、お二人に今週の土曜の涼様のご予定を報告致しましたところ、興味津々で『あの涼が夢中なんてどんな娘さん? 』とまぁ、俗っぽい言い方をすればノリノリでして――」
 「ノリノリって、古い表現だな。あの二人……こういう時だけは仲良くしやがって。ってか、鳴沢財閥(ウチ)的に現当主のバカ親父がんなことにかまけていいのか? 」  
 涼の問いかけに対して、峰谷がふっと遠い目をして微笑んだ。多分、駄目なんだろうと涼は理解っていた。現在あの駄目駄目な父親、治彦が現当主として安閑としていられるのは、既に隠居はしているものの、前当主である祖父、湧のちょっとした手助け、現当主の秘書兼執事である峰谷の実父、詠の力が大きい。
 「……まぁ、常に遊びを忘れないのが旦那様の長所ということで」
 「ああ、それ間違いだろ。遊びしか頭にねーんだよ、アイツの場合……ったく、俺が家を継ぐ前に鳴沢財閥自体、ぺしゃっと潰れるんじゃねーの? 」
 「それはどうだか……しかしながら、私ども使用人と致しましては、涼様が早く家を継いで下さればと思っております」  
 峰谷は涼の問いかけを暗に肯定しながらも、はっきりそうとは答えず、静かにそう言った。
 「……なぁ、峰谷」
 「はい? 」
 「俺が家を継ぐとなったら……やっぱ、色々と自分で決められねーことも出て来るんだろ」
 「と、申しますと? 」
 「ってか……色々さ。察しろよ」  
 はっきり何をとは言わず、涼は苦笑いを浮かべた。もし言ってしまった後、それを肯定されてしまったら、もう何も考えたくなくなるからだった。
 「まぁ確かにそうでございますね。ただ、涼様がグゥの音も言わせぬほど実績を挙げていかれたなら、独断即決をなさることに対して面と向かってくだらない戯れ言を言う資格のある方はそうそういらっしゃいませんよ」
 「……くだらない戯れ言、ね」  
 涼はふっと肩をすくめた。治彦の実子ではあるものの、愛人が生んだ子である涼を鳴沢財閥の次期当主とすることに、伯父や叔母たちは既にそれが決定事項となった今でも反対し続けている。
 (ったく、自分たちのことは棚に上げるんだよな、あいつらは)  
 涼はいつも「アイジンノコ」というフレーズとともに戯れ言ばかりを言ってくる親族達の顔を思い浮かべ、肩をすくめた。父親の治彦は正妻である千代子の息子であるが、親族たち、とりわけその多数を占める伯父や伯母の母親は違う。つまり、彼らは治彦にとっては異母兄姉というわけだ。もし、治彦が存在していなければ、誰が鳴沢家の当主になってもおかしくない状況だったということだ。ただ、そこに正妻の息子である治彦が誕生したため、仕方なく、父親に与えられた部署で異母弟に付き従う羽目になった者ばかりなのだ。それゆえ、似たような境遇でありながら、次期当主となる涼に対して心穏やかではいられないのだろう。だが、そこで譲歩するわけにはいかない。涼はきゅっと唇を噛みしめた。

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