第二章

絡まっていく糸 9

 涼が本家の祖父、湧(ゆう)に急遽呼ばれたのは、佐山と別れた後だった。
 「……で、祖父さんは何て? 」
 「それが、私にもさっぱり……ただ、大旦那様が私に、『涼に本家の離れに来るように伝えて欲しい』と仰っただけでございまして」  
 涼はいつものように自分を迎えに来た峰谷にその呼び出しの理由を尋ねたものの、納得できる答えを得られなかった。
 「……お前、本当に知らねーの? 」
 「はい、全く存じ上げません」  
 車の運転をしながら、峰谷はさらりとそう言った。だが、涼はそれが嘘であることが何となく理解っていた。
 「なぁ、峰谷……お前、俺の世話役になって何年になる? 」
 「涼様が5歳になられてからですので、かれこれ9年近くお側にお仕えしておりますが」
 「じゃ、俺が一番嫌いなことくれー理解ってるよな? 」  
 信号待ちで車が一旦停車したのを見計らい、涼は峰谷の方をじろっと睨み付けた。すると、峰谷はそんな涼の反応に諦めたような深い溜息を漏らした。
 「……嘘をつかれること、でございますね。申し訳ありませんでした」
 「謝るくれーなら、最初から嘘なんかつくな。で、どんな用件? 」
 「……お付き合いなさっている方のことだそうでございます」
 「お付き合い……一体、誰のことだろうな」
 「そこまではちょっと分かりかねます。ただ、私も不思議なのでございます」
 「不思議? 」
 「はい。畏れながら、これまで大旦那様は涼様のお戯れに随分と寛容であられましたのに、何故今頃になってかと――」  
 その峰谷の口ぶりから、湧が涼を呼び出した用件が「付き合っている人物について」だということ以外、どうやら彼も知らされていないようだった。
 「そうだな……俺が18になったんなら、結婚やら何やらの話が出て来てもおかしくはねーけど。俺はまだ14だぜ。まさか、遊び相手どもが子どもでも出来たって騒いだのか――」
 「いえ、それはないかと思われます。第一、涼様がお戯れになった方々については、私の部下たちが一定期間はぴったり張り付いておりますが、そういった事実は全くないかと思われます」
 「まぁ、今さらだけど……本当に律儀だよな、お前ら」  
 涼の言葉に峰谷はふっと苦笑いを浮かべた。
 「律儀というより……跡取りに関しては、無駄な争いを避けよというのが、大旦那様のご意向でございますから」
 「ああ、祖父さんの意向か……まぁ、俺の時に相当揉めたらしいからな。誰が跡取りになるかって話で。だから、今でも俺が鳴沢を継ぐことに異議を唱えてる奴がいるんだろ。俺が義母(かあ)さんの実子だったら、そこまで言われることもなかったろうしな」  
 自分の呟きで峰谷の整った表情が酷く歪むのを横目に、涼はぼんやりと車窓から流れる景色を眺めていた。
 「涼様」
 「ん? 」
 「仮に涼様が奥様の実子だったとしても……きっと、あの方々は何かしらの因縁をつけて、貴方様は後継者として相応しくないと結局は口にするでしょう。皆様、ご自分のお子様が鳴沢を継ぐに相応しいとお思いの方ばかりですから、今と状況はさほど変わらぬかと」
 「はん……バカみてー」  
 車窓から見える景色がごみごみとした街のものから、閑静かつ洒落た住宅街へと変わる。
 (久しぶりだよな、祖父さんのとこに行くのは……)  
 しばらくして、車は涼の実家の庭の一角に建てられた、純和風の日本家屋の古びた木造の門前に止まった。そこには峰谷にとっては祖父にあたる、峰谷 桂(かつら)が黒のタキシード姿で待ちかまえていた。
 「涼様、ようこそおいで下さいました。大旦那様が先程からお庭でお待ちでございます。どうぞ、こちらへ」  
 桂は昔と変わらぬ穏やかな口調でそう出迎え、涼を離れの庭へと案内した。峰谷は涼について行こうとした。だが、桂が彼にちらりと投げた視線に咎められ、酷く渋い表情を浮かべ、その場で帰りを待つことを了承した。
 「……あやつも随分とお役目が身についたようですな。涼様から離されることに、あれほど苦痛の表情を浮かべるとは」  
 庭へと向かう道すがら、桂はくっくっと喉を鳴らし、嬉しそうにそう呟いた。それが自分に向けての言葉だったのか、独り言だったのか、涼には判断がつかなかった。ただ、そこからは桂の孫への愛情が感じられた。

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