第二章

絡まっていく糸 6

 「……っと、姉貴、酷い顔よ」  
 不意にテーブルの上にメイク道具が一式入った小物入れがぽんと投げ置かれた。涼が少し戸惑った声で、その声の主の名を呼んだ。
 「アユミ」
 「ちーっす、バカ涼……まぁ、何で姉貴たちがあのコに過保護なのかは理解っていただけたわよね? 」  
 アユミは不敵な笑みを浮かべ、涼をじっと見つめた。
 「誰がバカ涼だ? 」  
 先程浅子を通して「バカ涼」と言われたことにはそこまで腹も立たなかったのだが、直接そう言われると、さすがに聞き流せない。
 「だって、バカじゃん、アンタ」
 「お前に言われたくねーよ。この性悪女」  
 涼とアユミのその言い争いが本気の喧嘩に発展するかもしれないと浅子と七世、沙穂と理亜は不安げな表情で見つめていた。だが、当の二人にとって、この口論はただの戯れ合いであり、遊びと言っても過言ではなかった。
 「性悪って……一応、あたしもアンタの好きな『サツキ アユミ』なんだけど」
 「お前と五月は身体は同じだろうけど……違うんだろ? それに、五月は意味もなく、他人をバカ扱いしねーだろ」
 「うん、しないわね。だいたい、あのコはまず身内はともかくとして、他人様にバカとかそんな悪意ある言葉とか、言わないからねぇ。でも、事実じゃん、アンタがバカなの」
 「俺のどこがバカだよ」
 「全部っ」  
 アユミがにたぁっと笑ったので、涼もそれに応えてにたぁっと笑った。どうやら、そこで浅子たちはこの口論が本気の喧嘩に発展しない、遊びなのだと判断したらしく、逆に呆れるような視線を今度は投げかけてきた。
 「ったく、全部なんて抽象的な言い方は卑怯だろ。具体的に俺がバカだって言える証拠を挙げろよ」
 「……んー、言ってもいいけど、アンタ、マジで凹みそうだし。あたし、優しいから、んなこと口に出せないわぁ」
 「誰が凹むか。実際、具体的に挙げられんねーんだろ、お前。だいたい、お前が優しいとか、まず信じられねーから」
 「えー、アンタはこのあたしのどこを見てそう判断するわけ? この健気で善良で純粋無垢で、優しい保護人格のあたしを捕まえて」
 「お前が自分で、『健気』とか『善良』とか『純真無垢』、『優しい』って言ったって、誰も信じねーだろ。だいたい、んな善良な保護人格さんが、あんな腹いせなんかするかよ」
 「ああ、あのコがそこの七世とアンタが付き合ってるっていう誤解してるってことを黙ってたこと? だいたい、普通に街でキスなんかしてたら、恋人なんだって思わない方がおかしいでしょ」
 「最近はキスくらい、盛り上がれば友達(だち)の間でもすんだろ」
 「ははは。あのコはそうは思わないでしょ。何しろ、あのコの恋愛に関する知識は、正直その辺のマセてる幼稚園児より奥手だから」
 「……幼稚園児より? 」
 「うん。だって、14歳にもなって、未だに『初キスは結婚式でする』とか真面目に言ってるんだからね。まぁ、あたしにとっちゃ可愛いんだけど、同級生には何か『五月さんだから許される発言だよね』って生温い視線向けられてるわ」
 「ん……確かに、生温い視線は向けるかもしれねーが、五月には許される発言だな」  
 涼はそんなアユミの言葉に同意した。
 「へぇ、同意してるし……ってことは、アンタは自分が結婚までおあずけを喰らうことに全く異存がないわけね」
 「け、結婚……な、何で、んな話になんだよ」  
 アユミの唇から「結婚」という言葉が飛び出し、涼は思わず動揺した。勿論、あゆみという少女の生真面目な性格を踏まえれば、いい加減な気持ちで付き合うなどということは許されないことくらい、涼も理解っている。それならば、何故動揺するのかと問われれば、アユミのその言葉でふんわりとしたプリンセスラインのウェディングドレスを纏ったあゆみを想像してしまったからに他ならない。
 「だって、今、考えてたでしょ」  
 アユミが「何を今さら」と言わんばかりの表情を浮かべてさらりと言い放つ。
 「まぁな」  
 他人の心を読めるアユミ相手に嘘をつくのは無駄な行動だと理解っていたせいか、涼は軽い口調で肯定した。
 「はいはい、二人が仲良しなのは十分よく理解ったから。そろそろ、閉店時間だし、そろそろ遊びは終わりにして、帰りましょ? 」  
 涼とアユミとの戯れ合いが一段落したと見た浅子はぽんぽんと手を叩いて、彼らにそう告げた。時計の針がとっくに0時を過ぎていたことに、涼は今頃になって気づいた。

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