第二章

絡まっていく糸 15

 「あっ、りー姉、おかえ……り」  
 理亜に引きずられる形で五月家を訪れた寮と峰谷を出迎えたのは、白いエプロン姿で無邪気に微笑むあゆみだった。勿論、その無邪気な笑顔は涼の顔がちらりと理亜の背中越しに覗いた瞬間、ちょっとだけ陰りを帯びた。
 「ただいまっす、あゆみ。お手伝いを二人連れて来たっすから、この二人の分の夕飯(ごはん)も支度頼むっす」
 「う、うん」  
 そんな妹の表情の陰りを意にも介せず、理亜はそう指示すると、涼と峰谷があゆみに挨拶する隙すら与えるものかと言わんばかりに、ずるずると仕事部屋と引きずって行った。
 「……じゃ、カラーの方は頼むっすね。自分はペン入れがまだ終わってないんすよ。画像は取り込んでるんすが、色指定はまだなんす。新キャラっすから、思うように塗ってくれればオッケーっす。サンプルもそこに置いてあるっすから。あっ、但し、後々のためにもしっかり色指定の記録は残しておいて欲しいっす」  
 ペイントソフトの使い方も教わらないまま、涼は理亜が使っているらしいパソコンの前に座らされ、内心こんなツッコミを入れた。
 (フィーリングって……いいのか、それで。ってか、アンタ、本当にプロかよ)  
 しかし、そう悪態をついていても始まらないので、涼はちらりとサイドテーブル上に置いてあるサンプル資料を見ながら、色指定からまず始めることにした。
 「あのぅ、理亜さん……私は一体何をすれば宜しいので? 」  
 一応仕事場には連れて来られたものの、仕事を割り当てられていない峰谷がそう理亜に訊ねると、理亜はちょっと考えた後、こう答えた。
 「ああ、腰巾着の仕事は……そうっすね、あゆみの料理の手伝いをして欲しいっす。腰巾着は料理はちゃんと出来るんすよね? 」
 「ええ、まぁ……承知いたしました」  
 涼が仕事に没頭し始めているのを確認した後、峰谷はあっさりとそう返事すると、仕事部屋から出て行った。
 「……理亜さん」  
 約1時間くらい経った頃、涼は作業しながら、ぼそりと背中越しに理亜に声をかけた。
 「何すか? 」  
 理亜も作業の手を止めることなく、涼からの呼びかけに答えた。
 「……俺、もう少しでこの作業終わるんで、すぐそのまま帰ります」
 「何を言ってるんすか、メシぐらい喰って行けっす。『鴻の所はアシにメシも出さない』なんて言われたら、それこそ心外っすよ」
 「いや、その、気持ちは有り難いですけど……ほら、折角の家族団らんに俺らがいたら――」  
 涼は先程のあゆみの陰りを帯びた笑顔を思い出し、そう言葉を濁した。これ以上顔を合わせていたら、またあゆみの内(なか)にある罪悪感が膨らみ、更に彼女を苦しめるかもしれない、その笑顔が曇るかもしれないと思うと、いくら理亜に半ば強引に引きずり込まれたとはいえ、これ以上五月家に長居することは許されない気がしたのだ。
 「そうっすか……確かに顔を合わせるのは、辛いかもしれないっすね。でも、もう鳴っちと腰巾着の分をあゆみは作ってるっす。せっかく作った料理を食べて貰えないのはもっともっと辛いことだと思うっす」
 「……そ、それは」  
 理亜の淡々と、それでいて切々とした口調での説得に涼の心はぐらぐらと揺らいだ。そして、それに拍車を掛けるように、遠慮がちなノックが仕事部屋に響いた。
 「入っていいっすよ」  
 理亜の言葉にあゆみがちょこんとドアの隙間から顔を覗かせ、こう訊いてきた。
 「えっと、あの、晩ご飯の仕度終わったんですけど……お仕事の方はまだかかりそう? 」
 「いや、もう後は仕上げっすから、腹ごしらえしてからにするっす。ねぇ、鳴っち」
 「え、あ……ああ、その、そうする」  
 ちょこんと覗くあゆみの顔に見とれていると、唐突に理亜にそう話を振られたので、涼は思わず頷いてしまった。
 「じゃ、その……ちゃんと手を洗ってきて下さいね。すぐ、食べられるように準備しますから」  
 あゆみはそう言うとすぐにパタパタと軽やかな足音とともに台所へと戻って行ってしまった。その背中を眺めた後、理亜が言った。
 「……食べるって約束したんすから、ちゃんと食べて帰るっすよ、鳴っち」
 「……ん」  
 仕事部屋から出ると、ぷぅんと何となく懐かしい感じの香りがした。その香りに涼は無意識に口元に笑みを浮かべていた。

<< Back   Next >>