第二章

絡まっていく糸 13

 アユミとの会話から数十分後、涼は峰谷に指示して、あゆみの家があるアパートの前までやって来た。とはいえ、あゆみの家の呼び出しベルを押す勇気は涼にはなく、彼女の家とおぼしき部屋から漏れる灯りをぼんやりと見上げているだけであった。
 「……あのぅ、涼様」
 「ん? 」
 「この状況は……あからさまに不審者だと思われますよ、ご近所の皆さんに」  
 わざわざここまで来たのに、今さら躊躇している涼に対して、峰谷が半ば呆れたような口調でそう忠告した。確かに、先程から側を通りかかる、近隣住民とおぼしき人々は涼と峰谷に容赦なく不審そうな眼差しを向けてきている。警察に通報されるのも、時間の問題かもしれない。
 「しゃ、しゃーねーだろ。その、ど、どんな顔して逢えばいいのか、分かんねーし」
 (だ、だいたい……五月だって、俺が逢いに来たって知ったら困るだろうし)  
 あゆみを困らせることは理解っていたが、それでも放っておくことが出来なかった。だからこそ、わざわざ家まで来たというのに、最後の一歩が踏み出せない。そんな自分の弱さを涼は憎んだ。
 「……帰るか」  
 涼はそう呟くと、踵を返した。だが、すぐにぐっと何者かに襟首を掴まれた。涼が慌てて横に居た峰谷を見ると、彼も何者かに襟首を掴まれていた。
 「逃がすわけに行かないっす。人材(アシスタント)が足りないんっす。手伝えっす」  
 襟首を掴んだ相手の声に涼は聞き覚えがあった。それは、あゆみの姉で元ヤンだという、理亜の声であった。
 「なぁ……理亜さん、よく状況が飲み込めねーんですけど。つーか、襟から手を離してもらえねー? すげー痛いし」  
 世話係と我が身に降りかかった災難の状況を掴もうと、涼は不機嫌そうにそう問うた。
 「ああ、悪かったっす。痛かったっすよね」  
 涼の問いかけに対し、理亜は悪びれない口調でそう言うと、ぱっと掴んでいた襟首を離した。襟首を離された次の瞬間、涼はすぐに振り返り、理亜の姿を目でも確認した。
 「久しぶりっす、鳴っち。こんな所で出会えたのはもう運命っすよね」
 「だから、運命とか、全然話が見えねー……」
 「ああ、そうっすね……なら、天の助け」  
 理亜はにかっと人好きのする笑みを浮かべ、涼と無理矢理に握手すると、本当に嬉しそうにそれをぶんぶん振り回した。
 「いや、だから……」  
 振り回されながらも、涼が理亜に何かしらの反論を試みようとしたところ、今度は気の弱そうな男の声が聞こえた。
 「……ちょ、ちょっと、鴻(おおとり)先生。いくらアシスタントさんたち足りないからって、いきなり見ず知らずの方にお手伝いお願いするなんて、ダメじゃないですか! 」
 「ふふん、スズキ君、この人たちは見ず知らずじゃないっす……自分らの将来の義弟(おとうと)とそのおまけっす」  
 理亜は相変わらず涼の手を握りしめたまま、スズキと呼んだ男ににっこりと微笑んだ。
 「あのぅ、おまけとは……私のことでございましょうか? 」  
 おまけ扱いされたことにどうやら意気消沈したらしく、峰谷がどこか沈んだ声でそう訊ねると、理亜はにかっと笑った。
 「ああ、悪かったっす。おまけじゃなくて、鳴っちの腰巾着だったっすね」  
 理亜は悪気がないのかもしれないが、峰谷への言葉は彼へのフォローどころか逆に止めだったらしい。理亜の言葉を聞いた途端、峰谷はほんの少しがくりと頭を垂れた。
 「あれ、どうしたんっすか? 」
 「お、鴻先生が『腰巾着』なんて仰るからですよ。すみません、先生に悪気はないんです」  
 スズキはそう言うと少しだけ頭を垂れた峰谷にぺこぺこと頭を下げた。
 「……は、はぁ」  
 さすがの峰谷も今の状況をあまりよく掴めていないらしく、どこか間の抜けた返事を返した。このままでは埒があかないと、涼が理亜にこう話を切り出した。
 「……そういえば、理亜さん、さっきアシスタントがどーのとか言ってましたけど? 」
 「そうなんす……自分、漫画家やってるんっすが、いつもお願いしてるアシスタントさんが、インフルエンザでお休みなんす。困ってたら、鳴っちと腰巾着に会えたっす」
 「……いや、俺、ど素人なんですけど」  
 涼は理亜の頼みを断ろうとした。
 「こんな可愛い女の子を描けるんだから、問題ないっす。頼むっすね」  
 理亜がそう言って袋から取り出したのは、涼が小遣い稼ぎに作っている、大きいお友達向けゲームの最新作のパッケージであった。

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