第二章

絡まっていく糸 11

 座敷には千代子が事前に用意していたらしい人数分の茶、白と黒の兎をそれぞれ象った和菓子が並んでいた。
 「千代子、だから、私は甘いモノは好かんと言っておるではないか」  
 涼と同じく甘いモノが苦手らしい湧は菓子を見て、微苦笑を浮かべた。
 「あら、旦那様、こんなに可愛らしいものがお嫌いですの? 」
 「いや、可愛いとかそういう問題ではなくてな……いや、その、食べるのが不憫なのだ。このように可愛らしいものを」  
 自分にはふてぶてしい態度の祖父が祖母には弱い姿に、涼は失笑するしかなかった。
 「可愛いでしょ、この兎……『風月堂』さんの新作で、『陰陽兎』と言うんですって。黒の方は黒ごまあんを、白の方は白ごまあんを使っているんですって」  
 和菓子に関する千代子の説明を涼と湧は黙って聞きながら、茶を啜っていた。
 「ほうほう……ちょっと待て、千代子。お前、また私の許しもなく、町へ出たのか」  
 千代子の説明にぴくりと湧の眉が動いた。だが、千代子はそんなことを意にも介せず、あいかわらずおっとりとした口調でこう返した。
 「だって、可愛い孫が来るのに、お菓子の一つも用意できないなんて……私、耐えられませんもの。それで、峰谷に頼んだら、『旦那様には内緒ですよ』って、連れていってくれましたわ」
 「千代子……それを私に言ったら、『内緒』にはならんと思うが? 」
 「あら、旦那様が今回のことで峰谷をお咎めにならなければ、内緒になりますわ」
 「私に『峰谷を罰するな』ということか」
 「それは旦那様がお決めになることですわ」  
 千代子は相変わらずほんわかした口調でそう言うと、空になった湧の湯飲みにそっと茶を注いだ。湧はそれを横目に、そっと黒兎の和菓子を手に取り、ぽいっと口に放り込んだ。
 「美味しいでしょ」
 「うむ……この味に免じて、今回の件は不問にしておこう」
 「あら、それは良かったわ。峰谷くらいですもの、私のワガママに付き合ってくれるのは」  
 湧が先程までの威厳のある態度はどこへやら、完全に千代子のペースに飲まれている姿に、涼は思わずぷっと噴き出しそうになった。
 「笑うな、馬鹿孫」
 「いや、だって……『妖怪』のこーいう場面、いくら金積んでもなかなか見られねーじゃん」  
 涼はわざと祖父の裏での通り名を口にした。すると、千代子がクスクスと笑い出した。
 「ふふっ……」
 「千代子、何がおかしい? 」
 「だって……旦那様を『妖怪』だなんて」
 「仕方ないだろう、私を知らぬ者どもの戯れ言だ」
 「いえ、言い得て妙だと思いましたのよ。旦那様は確かに『妖怪』でございますから」
  「何を言うか、千代子。お前はその『妖怪』の妻であろう」
 「ええ、でも、私が嫁いできた時にはまだ旦那様は『妖怪』ではございませんでしたわ」
 「……まぁ、な」
 「それはこの鳴沢家を維持するためには仕方なかったことでございましょう。それに、確かに世間様では『妖怪』と呼ばれる方かもしれませんが、私にとってはお優しい良人(だんなさま)ですから」  
 千代子はそう言って微笑むと、そっと湧に寄り添った。すると、みるみるうちに湧の頬がうっすらと染まった。
 「こ、こら、りょ、涼の前だぞ」
 「あら、いいじゃありませんか」  
 慌てる湧とそんな夫の姿に穏やかに微笑む千代子の姿を見ていられず、涼はふっと横を向き、白い兎をぽいっと口に放り込んだ。
 「……不味くはねーな」
 「そうでしょう、そうでしょう。五月さんが『さらっとした甘さだから、甘いモノが苦手な人でも食べられると思います』と勧めて下さったものなのよ」  
 千代子の言葉に涼と湧はぎょっとした表情で彼女の顔を見た。千恵子の唐突な告白に言葉を無くした涼に代わって、湧が訊ねた。
 「五月さんって……千代子、お前、まさか」
 「だって、旦那様と峰谷が随分と騒ぎ立てるんですもの。だから、私も涼の想っている方にお会いしたいと思ってましたの。偶然にも『風月堂』で五月さんと会ってね」
 「……で、話したのか」
 「ええ、本当に可愛らしいお嬢さんね。それに、大事にされて……涼があのお嬢さんに惹かれるのも当たり前だと思いましたの。だから、ちゃんと、ね」  
 千代子の次の言葉が涼は分かっていた。ただ、その方法がまだ見つからなかった。だからこそ、曖昧に頷くしか出来なかった。

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