カノジョと彼女 6 マルヤマのそんな叫びの最後の辺りは泣き声で、涼は思わず内心こう悪態をついた。 (ったく、何でも泣けば済むと思ってんのかよ……五月の涙ならまだしも、お前の涙なんか動揺も何もしねーんだけど) だからこそ、涼は相変わらず泣き叫んでいるマルヤマを放って、すたすたと歩き出した。実際、この街ではそんなやりとりが日常茶飯事だ。だからこそ、その辺に落ちている石ころか何かと同じように、泣き叫ぶマルヤマの横を人々は通り過ぎる。 「……ふぅん、あのコの涙なら、アンタも動揺すんだ」 不意に自分の横で聞こえた声に、涼は急にぎょっとした表情を浮かべ、立ち止まった。自分に気配もなく近づく者がいたということ、まるで自分の心を読んだかのようなその言葉に恐怖にも似た驚きを感じつつ、涼は恐る恐る、自分の横を見た。そして、思わず叫んだ。 「え……お、お前っ、この前のっ!? 」 涼の横に立っていた人物、それは先日彼に喧嘩を売ってきた、黒パーカーに紺色キャップの、あの子どもだった。 「……あんな馬鹿女と一時期でも寝てたなんて、アンタ、本当にどーしよーもないね」 相変わらずどこか小馬鹿にした口調で、子どもはケラケラと笑う。その笑い声はマルヤマとのやり取りで多少は害されていた涼の神経を更に逆撫でした。一瞬の隙を見て、涼は怒りに任せ、ぐっと左手で子どもの襟元を掴もうとした。だが、子どもはそれを察したかのように、するりと涼の左手から逃れた。 「……ちいっ」 涼は思わず舌打ちをした。すると、子どもは目深に被ったキャップの中からにやりと口元を歪ませ、再びケラケラと笑い始めた。 「てめーっ。もう、ガキだからって、容赦しねーかんな」 「ふんっ、そんなセリフ吐くのは、捕まえてからにすれば? 」 飛びかかって、自分を捕まえようとする涼を身軽にひょいっと避け、子どもはどこか楽しそうに彼を挑発する。子どもはまるで仔猫が兄弟との戯(じゃ)れ合いを楽しむかのように、軽やかなステップを踏む。ただ、その動きについていけず、被ったキャップが脱げそうになるのを、時折、その左手でそれを押さえる姿は、何かのダンスを踊っているようにも見えた。 「……あのさぁ、そろそろ遊ぶのやめない? というか、もう諦めてくれちゃったり何かすると、有り難いんだけどね」 「お前こそ、逃げんの諦めたらどうだ? ってか、さっきから逃げ回ってばっかだろ? 」 長い戯れ合いの結果、ようやく涼は子どもを繁華街のとある一角に存在する路地の行き止まりまで追い詰めた。もう、逃げ場はない。 「……さぁ、謝るのは今のうちだぜ。まぁ、謝ったら、ちったぁ、手加減してやるよ」 「何で謝んないといけないの。だいたい、事実を述べたまででしょうに。だいたい、アンタ、ちゃんとあのコの気持ちも聴いてないくせに、逃げんじゃないわよ」 「さっきから聞いてりゃ……だいたい、あのコって誰だよ。分かりにくい言い方しやがって! だいたい、俺は遊び相手の名前なんて、全然覚えてねーんだけど」 きっとこの子どもは自分が今まで弄んできた女たちの関係者か何かだろうと見当をつけ、涼はそう冷たく言い放った。すると、子どもはふっと失望したような溜息をふっと漏らし、被っていたキャップを脱ぎ捨てた。 「あのコはアンタの遊び相手なんかじゃ、ないわよ。あんなのと一緒にしないでよね」 薄暗い路地裏で、キャップの中に押し込められていた黒髪がふわりと夜風に舞った。そして、子どもは涼に自分の顔がよく見えるように、一歩踏み出した。 「……え、さ、五月? 」 点滅するネオンサインが照らし出した子どもの顔、それは涼にとっては愛しい少女のものだった。 「……そう。さっき、どっかの馬鹿女が言ってたでしょ? あのコはニジュウジンカクだの、タジュウジンカクだのって。あたしはその片割れ。というか、あのコの保護者」 子ども、いやあゆみの保護者だと名乗る、彼女の片割れは今までとはうって変わった神妙な口調で自らの素性を明らかにした。突然のカミングアウトに、涼は件の保護者に返す言葉を失い、ただただ彼女をじいっと見つめ返した。確かに顔はあゆみなのだが、その眼差しは彼女とは違い、どこか鋭く、冷たいものを感じるとともに、どこか親しみを覚えた。 「同じ身体に存在してるのに……随分と雰囲気が違うんだな。五月とは全然、違う」 涼はぼそりとそう呟くと、自称あゆみの保護者はどこか呆れたような声でこう答えた。 「そりゃそうよ。同じ身体に存在してるけど、あたしたちはやっぱし別の人間なんだもの」 |