カノジョと彼女 20 「お、お前が辛いって……わ、ワケわかんねーよ」 アユミの声が微かに震えていることに多少動揺しながら、涼は彼女の表情を盗み見た。泣きそうになるのを必死になって堪える為に噛みしめた唇、潤んだ瞳、小刻みに震える肩、アユミを彩る全てが彼女が泣いていることを物語っていた。 「……アユミ? 」 「…………」 「えっと、あの――」 涼は思わずアユミの肩に手を置こうとしたが、彼女はそれを振り払った。 「……触らないで」 「……じゃ、な、何で泣いてんだよ。い、いきなり泣かれても、俺、困るだろ」 電車内の乗客の視線が先程より更に突き刺さってくるのをひしひしと肌で感じながら、涼はアユミにそう言い返した。 「……困ればいい。あたしからあのコを奪うんだから、それくらい困ればいい」 アユミはまるで子どものように、涼の言葉に何度も何度も低い声でそう繰り返した。 「…………」 アユミの言葉の意味を掴み切れず、涼は彼女をしばらく放っておくことにした。これ以上何か言っても、今のアユミには通じないような、そんな気がしたからだった。 「……ねぇ、英語で配偶者を”better half”って言う理由、知ってる? 」 涼の判断は正しかったらしく、しばらくすると、アユミは自分から再びこう話を切り出してきた。 「良き片割れ……まぁ、夫婦は二人で一人って考え方からじゃねーの」 「まぁ、直訳から導き出せばそうよね。なら、アンタ、ギリシャ神話とか知ってる? 」 「ああ、あの懲りない、女好きの神の話だろ。昔、絵本で読んだことがある」 「まぁ、間違っちゃいないわね……その中でさ、『人間の起源』について言及してる話があんのよ」 「……ふぅん。で、それが何? 」 「人間ってさ、元々は男と女、そして両性具有の『アンドロギュノス』って種類だったんだって」 「ああ、両性具有ってことは、カタツムリと同類だな」 「まぁ、そりゃそうだけど。でさ、その『アンドロギュノス』たちが神への反抗を企てたわけよ。そんで、その罰として、神が男と女にそれぞれ分離させたわけ」 「で? 」 「それ以来、人間は無意識に、失われた自分の半身を恋い焦がれてて……それが恋心なんだってさ。だからこそ、配偶者を”better half”って呼ぶんだって」 「はん。このご時世、今の配偶者が必ずしも”better half”とは言えねーけどな……で、それとお前が泣いたのと、一体どう関係があんだよ? 」 「あたし……あのコが好きなのよ」 「まぁ、好きじゃなきゃ、保護者役なんて買って出ないだろ」 涼の言葉にアユミはきっぱりとこう言った。 「まぁね……だけど、あのコへの気持ちって、家族としての『好き』じゃなくて、アンタと同じ意味のそれだから。無論、あのコは知らないし、今後もそれを言うつもりはないけど」 「え……」 「何も知らない連中は、きっと『ナルシシズム』だって嘲笑(わら)うわね。でも、あたしはそれでも、あのコを――」 「……なら、何で俺とくっつけようってすんだよ。その、お前から見れば、俺はライバルだろ。少なくとも――」 「だって……あのコがアンタを好きなんだから、仕方ないじゃない。好きだから、自分が我慢してでもあのコには幸せになって欲しいって思うの。アンタには腹いせするけどさ」 アユミは静かに微笑った。だが、それはとても淋しげな微笑であった。 「……アユミ」 そんなアユミの表情を見た途端、涼はただ彼女の名前を呼ぶことしか出来ない気がした。 「だから、逃げないでよ……想いを伝えることが出来るんなら。想いを伝えられない恋をしてる人間だって、ここにいるんだから」 アユミはそう言うと、ふっとその瞳を閉じた。その拍子にガタンと電車が激しく揺れた。 「きゃっ」 可愛らしい悲鳴に涼が恐る恐るアユミの方を見ると、頬を真っ赤に染め、目を白黒させている、もう一人の彼女の姿があった。 「……え、えっと、あのっ」 何故か自分の手が涼のジャケットを掴んでいることに気づき、あゆみは慌てて離そうとした。だが、涼はそんなあゆみの手をそっと掴むと、少し強めの口調でこう笑った。 「……しっかり掴まってろよ、五月」 |