カノジョと彼女 18 突然のあゆみからの声かけに、涼の手からぽろりと携帯が落ちた。 「あ……」 唖然とその場に立ったままの涼を尻目に、あゆみは危うく床に叩き付けられそうになった携帯をぱっと拾うと、まるで人形のように整った、穏やかな微笑で彼に差し出した。 「はい、気をつけてくださいね」 (アユミの奴、俺絶対に避けられるって言ったよな……な、何でこんなに笑顔なんだよ) 「……わ、悪りぃ」 「いえ、私こそ驚かせてしまってごめんなさい。携帯って壊れやすいんでしょ? こんなコンクリートの上に落としたりなんかしたら、絶対に壊れちゃいますから」 あゆみはそんな涼の動揺っぷりなどいざしらず、相変わらず柔らかい微笑を浮かべて、まるで何かのセリフを読むようにすらすらとそう続けた。 「……五月、あのさ、この前のこと――」 涼のそんな呟きを掻き消すように、ホームに香宮駅行きの上り列車がそろそろ入ってくる予定であることを告げるアナウンスが流れ始めた。それを待っていたかのように、あゆみはぺこっと涼に頭を下げると、すぐにくるりと踵を返して改札口へと行ってしまった。 「え……あっ、ま、待てって」 遠ざかるあゆみの背中に涼が思わず手を伸ばした瞬間、ジャケットのポケットに入れていたライブチケットの入った封筒がぽとりと落ちた。 「あ」 床に落ちた封筒は改札口に向かう少女たちの靴に踏みつけられ、涼の視界から消えた。 「……ちぃっ」 チケットはまたあとで買い直せばいいと思い直し、涼は慌てて改札口を通り抜けた。ホームは実家やらに帰省する予定と思われる、「銀カゴ」の生徒たちでごった返していた。その光景を目の当たりにした涼は、似たような恰好の、似たような年頃の少女たちの中からあゆみを捜すのはなかなか困難な仕事だと思った。だが、その予想に反して、ホーム内を一瞥すると、ベンチにちょこんと座り込んでいるあゆみがすぐに見つかった。 「さつ……」 名前を呼ぼうとした涼を止めたのは、俯き加減のあゆみの顔からぽたぽたと絶え間なく流れ落ちる、幾つもの雫だった。 (え……泣いてる? ) あゆみは何とか泣きやもうと努力しているらしく、何度も何度もかぶりを振ったり、ホームの天井を眺めたりする仕草を繰り返した。 (な、何で泣いてるんだよ……おい) 涼は躊躇いながらも、そんなあゆみに声をかけることも出来ず、しばらくそんな彼女を見つめていることしか出来なかった。 (こ、このままじゃ、俺、駄目だよな) しばらくあゆみを見つめた後、涼はそう自分に言い聞かせ、そっと彼女に歩み寄ろうとした。だが、そんな涼の決意を嘲笑うかのように、2両編成の上り電車がどこか単調なメロディにのってホームに入って来た。すると、あゆみは流れてきたメロディに慌てて鞄からタオルと取り出し、ごしごしと乱暴に顔を擦った。 (ああ、あんなに擦ったら赤くなっちまう) あゆみのそんな仕草に涼がわたわたしているうちに、彼女はそそくさと立ち上がった。 (うわ、行っちまうよ) 濃いオレンジの車両の中に吸い込まれていく小さな背中を涼は慌てて追った。 (うわっ、何かすげー匂いだな) 車内では乗り込んだ「銀カゴ」の生徒たちがつけているフレグランスがそれぞれ入り交じった、すさまじい香りが漂っていた。甘いフレグランス、爽やかなフレグランス、中性的なフレグランス、それぞれ個別に嗅げばいい香りなのだろうが、入り交じっているせいで正直吐き気すら覚えた。一緒に乗ってきた涼ですらそこまで不快感を覚えるのだから、若宮駅の手前から乗っていたらしい一般の乗客たちはなおさららしく、あからさまに嫌そうな表情を浮かべていた。 (まぁ、俺もコロンつけてるから、文句は言えねーけど) そんなことを考えながら、涼は車内を一瞥した。すると、車両の隅にある二人掛けの座席の窓側にちょこんと座っているあゆみの姿が視界に入った。しかも、通路側の席は空いている。 (ぐ、偶然を装って隣に座る? い、いやいや、それは何かちょっと――) そんな風に再び涼が躊躇っていると、あゆみの隣に中年のサラリーマンが座ってしまった。先程は見かけなかった顔だ。どうやら座席を捜して、隣の車両から移ってきたらしい。 (げっ……クソ親父、何で座るんだよ) そう悪態をついてみるものの、どうすることも出来ず、涼は近くのつり革を掴んだ。 |