第一章

カノジョと彼女 13

 「俺が人を好きになったことがねーとか、可哀想だとか、アンタと話してっと、胸くそ悪くなるばっか。俺、もう帰るぜ」  
 瀬ヶ谷の言葉がもたらした痛みに耐えきれず、涼はそう冷たく言い放つとさっさと彼に背を向けた。すると、瀬ヶ谷は涼の肩をぐっと掴み、低い声でいきなり問いかけてきた。
 「なぁ、涼……お前、いつまで不幸面してるつもりだ? 」  
 そんな瀬ヶ谷の問いかけに、涼は自分の肩を掴む彼の手をじろりと一瞥した後で振り払い、何も言わずに歩き出した。
 「ま、待て、涼っ」
 「…………」  
 瀬ヶ谷がそう制止する声を無視して夜の人混みに紛れると、涼は携帯を取り出した。瀬ヶ谷にはああ言ったものの、家に帰るつもりなんか全くなかった。
 (さてと、誰で遊ぼうか。できれば、黒髪のちみっこいのがいいんだけどな)  
 アドレス帳を開いて、全てカタカナの名前で表示された名前から今夜付き合ってくれそうな、あゆみに似た遊び相手を物色する。実際の所、その選んだ相手があゆみに全く似ていなくても、自分が嫌でもそいつに彼女を重ねてしまうことはもう分かり切っていた。それでも、重ね合わせられる相手がいい。
 (名前とか呼んだら……速攻アウトだけどな)  
 七世ならまだしも、他の遊び相手はともすれば、戯れの後は「リョーのカノジョになりたい」と酷く甘ったるい声でねだってくる女ばかりだ。万一そんな女の前であゆみの名前を呼んだら、それこそ厄介なことになりかねない。すると、まるでそんな涼の気持ちを汲んだように、画面が着信を告げるものに切り替わった。そこに表示された名前に、涼はぼそりと呻いた。  
 ――ナナセ――
 「タイミング良すぎだよ、お前」  
 涼はふっと微苦笑を浮かべ、黙って携帯を閉じると、ポケットにそれをしまった。七世なら、あゆみによく似ているのだから、今夜の相手としては申し分ない。しかしながら、それでも七世を選ぶことは躊躇われた。
 (ナナセの奴、結構勘が鋭いからな)  
 あれだけ涼のあゆみに対する煮え切らない、中途半端かつ逃げ腰の態度に色々と厳しくも適切なことを言った七世である。今夜、涼が想いを偽ってあゆみをフったなどと知れたら、それこそ何を言われるか、非常に面倒臭い。涼がそのまま再び歩き始めようとした時、不意に背後からぐいっと襟元を掴まれた。
 「……な、何だっ? 」  
 涼がふっと振り返ると、そこにはほんの少し不満げな表情を浮かべた、七世が立っていた。どうやら「プリンセス」のパフォーマンスの帰りだったらしく、七世の姿はバンダナは外していたもののの、黒のTシャツに紺のジーンズ姿といったものであった。。
 「シカトしないでよね、リョウ」
 「……俺だって、たまにはお前以外の奴と遊びてーんだよ。別に付き合ってるわけじゃねーんだから、電話シカトしたくれーでうだうだ言うなや」  
 涼は七世をじろりと睨み付けながら、肩をすくめてそう言い放った。すると、七世ははっきりとした声でこう言い返してきた。
 「意気地なし」
 「はぁ? 言ってる意味が分かんねーんだけど」
 「……さっき、Kビル前で女の子にかなり酷いこと言ってたじゃん。あの娘がサツキちゃん、でしょ? 」
 「…………」
 「口では酷いこと言ってたのにさ、リョウの表情(かお)泣きそうだったじゃん。前にあたし、言ったよね。『判断する前に結論を予想して、その機会を与えないなんて、逆に迷惑じゃない? 』って。それに、サツキちゃんの口調からして、彼女もリョウのこと――」
 「黙れよ」  
 これ以上七世に言葉を紡がせないために、涼は噛みつくようなキスで彼女の唇を塞いだ。
 (理解ってる、理解ってるさ……でも、もう終わらせちまったんだよ。終わらせちまったもん、もうどうしようもねーだろ)
 「……そうやって自分の心、誤魔化して、一体何になるのよ? 」  
 長いキスの後、七世が酷くトーンの低い声でそう問いかけてきた。涼は口元に淋しげな微笑を浮かべながら、同じくトーンの低い声でこう返した。
 「何にもなんねーよ……それに、もう五月には『迷惑だから』って言っちまったんだよ。だから、また『実は好きなんだ』って、180度違うこと言ったら、混乱させちまう。これ以上、俺は五月に関わっちゃいけねーんだ」  
 涼のそんな言葉に七世は更にこう続けた。
 「でも……残酷な嘘を事実だって思わせるより、関わった方がきっとずっとマシだわ」

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