第一章

カノジョと彼女 11

 「……ったく、ムカつく」  
 涼はそう呟きながら、挨拶もなしにそのまま病院を出た。すると、後ろからぱたぱたと自分を追ってくる足音が聞こえた。その足音の主が誰なのかが判ってはいたが、涼は足を止めなかった。
 「な、鳴沢君っ! 」  
 足音の主、あゆみが今にも泣きそうな声で涼の名を呼んだ。そのせいで、涼の心はぐらぐらと揺れ動き、動いていた足が止まってしまった。しかし、ここで振り返ったら、もうこの気持ちにピリオドを打つことが出来なくなるような、そんな予感がした。だから、涼はあゆみに背を向けたままでこう彼女に告げた。
 「……お前、俺と釣り合うと思ってんの? 」
 「え? あ、あのっーー」
 「ったく、はっきり言って、お前は恋愛対象外なんだよ。だいたい、お前みてーなガキ、興味ねーんだよ」
 「…………」
 「だいたい、お前みたいなの相手にしてたら、ダチに笑われるだけ。『遊び』でもお断り」
 「…………」
 「だから、もうこれ以上、俺に関わんな。ってか、関わられたら迷惑っ」  
 涼は声では冷静さを何とか保ったが、表情(かお)はくしゃくしゃに歪み、今の言葉がみな嘘だと告げていた。だが、背を向けているおかげで、あゆみにはバレないで済んだ。
 「それじゃ、サヨナラ」  
 涼は冷静な声を喉から必死にそう絞り出すとスタスタと歩きだした。すると、背後からあゆみの小さな声がぼそぼそと聞こえた。その声からして、もうあゆみは泣き出しているようだった。
 「ごめん、なさい。私っ……」
 (謝るなよ、謝るのは俺だって……ってか、何で五月のコト、好きになっちまったんだろ。俺なんか、絶対相応しくねーのに)  
 そんな鉛のように重い罪悪感を抱きながら、涼はまるで逃げるようにその足で再び街へと戻った。午前0時からが自分たちの時間だと主張するように、街は先程より賑わっていた。
 「リョー! 」  
 涼がそんな街の賑わいを横目に歩いていると、不意に馴染みの遊び相手のクミが背後から抱きついてきた。
 「ん? よぉ」
 「よぉ、じゃないわよぉ。ねぇ、さっき一緒に歩いてた冴えない娘、誰っ? 」
 「え、あ……」  
 ああ、見られていたのかと内心溜め息をつきながら、涼は包帯をしている方の手でクミの肩を抱き寄せ、耳元でこう囁いた。
 「……ちょっとした気まぐれさ。けど、お前の方が何倍もいい」  
 涼は鉛のような罪悪感をまるで切り捨てようとするかのように、乱暴にクミの唇を奪った。ひどく長く濃厚なキスの後、クミは先程の自分がした問いかけなど忘れたかのように、甘えるように涼に身体を擦り寄せてきた。
 「……つぅ」  
 その拍子に、包帯をしている手が、傷が、ズキリと鈍く痛み、涼は微かに呻いた。その様子に、クミが首を傾げてこう訊ねてきた。
 「どーしたの? そのホータイ」
 「いや、ヘマやらかしちまってな」
 「ヘマ? リョーにしちゃ珍しいね。でも、大丈夫なんでしょ? 」  
 クミの「大丈夫なんでしょ? 」という言葉の響きがどこか艶を帯びていることに内心では微苦笑を浮かべながら、涼は肯定の返事代わりにニヤリと笑った。
 (ったく、心配してるフリして、ヤルことしか考えてねーのかよ、コイツ。まぁ、俺としては都合がいーだけだけど)  
 今夜だけは、クミにあゆみの姿を重ねてめちゃくちゃに抱くつもりだった。そうすれば、自分の中で未だにひっそりと息づいている、往生際の悪いこの想いもみな泡のように消えてしまうだろう。そもそも、あゆみは自分とは住む世界の違う人間であり、そんな彼女に好きになってもらうなんて、想いを通じ合わせようなんて、おとぎ話にもなりゃしない。
 「なら、そろそろ行くか? 」
 「うん」
 「おい、そこの二人っ」  
 クミと並んで歩きだそうとした涼を不意に誰かが呼び止めた。涼はその声に聞き覚えがあり、ちぃっと小さく舌打ちをした。
 「……瀬ヶ谷(せがや)っちか」  
 うるさい奴に遭ってしまったものだと涼は不機嫌そうな声でそう低く呻くと、自分を呼ぶ声の主、瀬ヶ谷の方に振り返った。
 「もう君たちが街をウロついていい時間じゃないんだが……」  
 そんな瀬ヶ谷の言葉でとっさに補導だと思ったのだろう、クミは慌てて抱きついていた涼の腕を放すと一目散に逃げ出してしまった。 

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