第一章

カノジョと彼女 10

 「あゆみ、コーヒー。うんと濃いの」
 「はぁい」  
 あゆみの一番上の姉であるという浅子は涼の怪我の処置を終え、彼女にそう命じた。
 「で、キミの名前は? 」  
 あゆみが部屋を出て、給湯室に行ったのを見計らって、浅子は涼にそう問いかけると、どこか警戒した眼差しでじろじろと観察を始めた。観察される側の涼としては、正直かなり不愉快なのだが、彼女の視線に気がつかないフリをしながら、こう返した。
 「リョー」  
 浅子はその名前を聞いてしばらく考え込んだ後、頭痛を堪えるように額に手を置いた。
 「で、うちの妹とはどういった関係? 」
 (まぁ、この辺で働いてりゃ、俺の噂くれーは耳に入ってるよな。心配すんな、アンタの妹には絶対んなことはしねーから)  
 涼はふっと壁に掛かっていた姿見に映る自分の姿に微かに苦笑しながら、こう答えた。
 「小学校の時のただの同級生。んで、今夜は怪我してるところに通りがかられ、手当てが必要だってここまで連れて来られた関係」
 涼が憮然とした口調でそう答えると、浅子ははっと我に返り、申し訳なさげに微笑んだ。
 「ご、ごめんなさい、つい」
 「別に。まぁ、噂知ってりゃ、当然の反応」
 「……理解ってて、やってるの? 」
 「……まぁな。ただ、遊んでる女(やつ)らも最初は『遊び』って理解ってるんだぜ。でも、途中から本気になっちまって、カノジョ面して鬱陶しく、面倒なんだよな」
 「『遊び』とか、鬱陶しく面倒って……リョー君、まだ若いのに夢も希望もないわね」
 「夢も希望も元々ねーから」  
 そんな会話を交わしているうちに、あゆみがプラスチックのトレーにマグカップを2つと来客用のティーカップを1つ載せて部屋に戻ってきた。カップからは湯気とともにコーヒーとミルクの香りが漂ってきた。
 「お姉ちゃんのは濃いめ。鳴沢君もどうぞ。ブラックですけど」
 「ありがと」
 「わ、悪りぃな」  
 涼と浅子はそれぞれカップを手に取り、それぞれのペースで飲み始めた。
 「あっ、またアンタはホットミルクなの? お子様ねぇ」  
 浅子が呆れたような口調であゆみに問いかけると、彼女は拗ねたような口調でこう言い返した。
 「だって、コーヒー苦いんだもんっ。あのねぇ、知ってた? 食べ物を『マズイ』って感じるのはね、身体がその食べ物を『毒』だって判断した結果、防衛機能の一種なんだよ」  
 あゆみは子どもじみた態度で舌をべぇーっと出した。そんなあゆみを横目でちら見しながら、涼はコーヒーを啜った。
 (ああ、五月ってこんな風な表情(かお)もすんだな、拗ねてる表情も可愛いし)  
 ホットミルクの入ったマグカップを両手で抱えてこくこくと飲んでいるあゆみの横顔にほんのり頬を赤らめながら涼が見とれていると、不意に浅子と視線が合った。浅子はふっと溜め息をついて、空になったマグカップをあゆみに突き出した。
 「コーヒー、おかわり」
 「えーっ、自分で淹れてきてよ。私、まだ飲み終えてないんだけど」
 「だって、あゆみが淹れてくれるコーヒー、美味しいんだもの。ダメ? 」
 「うっ、仕方ないなぁ」  
 あゆみはトレーに浅子のマグカップを載せると、部屋を出て行った。それを見計らうように、浅子がぼそりと呟くように言った。
 「ねぇ……もしかしてリョー君、ウチのあゆみのこと? 」
 「え、あっ……ん、んなわけねーだろ」  
 浅子のそんな問いかけに涼が慌ててそっぽを向くと、彼女はさらにこう続けた。
 「そう……貴方に弄ばれた娘(こ)たちが『リョーには本命の娘がいるから、遊んでてもこっちを振り向いてくれないんだ』って言ってたから」
 「勝手な勘ぐりだな。あんな色気のねーガキ、興味ねー」
 「あら、そう? 少なくとも、あゆみを見る貴方の瞳(め)は『好き好き、好き好き』って訴えてたけど」
 「そりゃ、アンタの目が節穴って奴だ」
 「あら……なら、あの世話係さんが言ってたことは嘘だったのかしら? 」  
 浅子の言葉に出てきた「世話係」というフレーズに、涼はそんなお節介焼きの世話係の顔を思い浮かべつつ、低い声で思わず呻いた。
 「あの、お節介め」
 「あら、素直じゃない貴方にはぴったりだと思うんだけど」  
 浅子がそうころころと笑うものだから、涼は不機嫌そうに鼻を鳴らして、席を立った。

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