幻影と現実の歪み 7 甘い夢は一瞬のうちに真っ白い空間へと変化し、風花にその終わりをまざまざと思い知らせる。 何もなくなった白い幸せの残骸を目の前にして風花は思わずその場に座り込み、こう呻いていた。 「ばかみたい」 それ以外に今の状況を、気持ちを表現する言葉が見つからなくて、風花はぽつりと何度も呻いた。 このままあの夢の中に留まること、そこで人生を終えることが出来たなら、酷く幸せだったのに。 そんな風に思う自分に気づき、風花はそれだけ幻想に依存し切っていた自分の愚かさを嘲った。 あの日以来、完全に無くなった、捨て去ったと思っていた感情があの夢の日々で蘇ってしまった。このまま目覚めたら、また自分はそんな感情に囚われ、どうしようもない日々を送るのだろうか。 不意に何かが頬を流れる感覚、どうやら感情ばかりでなく、涙や感覚まで蘇ってしまったらしい。 感情や感覚が無くなった状態でも限界を迎えていたというのに、なおさら現実へ戻りたくない。 「風花」 遠くから聞こえる自分を呼ぶ声に聞き覚えはあるが、声の主の名前を思い出すだけで虫酸が走る。やめてくれと言わんばかりに耳を塞いではみるが、それが何の役にたたないことも知っている。 「……一体、私をどうしたいのよ」 あれほど散々痛めつけておいて、傷つけておいて、今さらになってあんな優しい声で呼ぶなんて。 そんな態度を、こうして自分が壊れる前にとってくれていれば、何かが変わったのだろうか? だが、そんなことを今さら考えたとしても、現実にある、あの夜の真実は消すことなど出来ない。 そして、それが自分の蘇った感情や感覚に働きかけ、死んだ方がマシだとまた思わせるだけだ。 声の主はあの夜の真実を知らないからこそ無神経に呼びかける、それが酷く苛立たしく感じる。 いや、苛立たしいのを通り越し、哀しくなってくるのは、情けなくなってくるのが。 あの甘く幸せな夢に育てられた少しの想いが名前を呼ぶ声に反応して、ぐらぐらりと心が揺らぐ。実際、それに反応してこの真っ白な空間を出て行っても、待っているのは、あの悲惨な現実だ。何度も何度もそう言い聞かせて、声に反応して、夢を出て行きたがる、気持ちを殺そうとする。それでも気持ちは死ななくて、最後の足掻きのように酷く甘美な悲鳴をあげ、のたうちまわる。 「風花っ」 「もうっ、放っておいてよっ! もう、もうっ、もうっ―」 まるで駄々っ子のように耳を塞いで叫んでみるが、呼ぶ声は決して止まず、むしろ大きくなる。 現実の世界の自分の身体が何らかの反応を示しているのかもしれない、それが我ながら情けない。 ふっと顔を上げると、その視線の先の空間に酷く、くっきりと真っ黒な扉が浮かび上がった。 何もなかった白い空間に突如として真っ黒な扉が現れた理由に気づき、風花は自嘲的に呟いた。 「戻りたがってるのね、どっかで」 この白い空間は風花が無意識に作り出したものであり、彼女の気持ちと密接に連動している。 つまり、この空間にこの扉が出現するということは、心のどこかで戻りたがっているのだろう。 諦めたように深い溜息をついた後、風花はのろのろと重い足を引きずりながら、扉へと向かった。扉の向こうで待っている現実と先程から呼ぶ声の主から与えられる仕置きに怯えながら…… |