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第7章
愛情と復讐の天秤 2

 「一体、何を考えてんだよ、アイツ」  
 ここ数日、純平は風花からの申し出にどう返事をするべきなのか、頭を悩ませていた。子どもを喪ったことが風花の意識を「死」へと向かわせていたが、子どもを育てることで彼女のそれが「生」へと転換するならいいことかもしれない。ただ、子どもはいつまでも子どもではない。その子が段々成長していくに従って、実の母親、菜穂に似ていったら、風花はどうするつもりだろう。愛情と憎悪のどちらが勝るのか、それはその時にならないと理解らない。
 「ホント……どういうつもり、だよ」  
 意図の分からない風花の申し出に純平は苛立ちを募らせ、それを紛らわせるためにふっと煙草に火を点けてみるものの、少しも気を紛らわせてはくれない。逆にそんな純平の苛立ちを嘲笑うかのように、彼の脳裏に、先日菜穂と交わした会話がふっと蘇っていた。
 「……あたし、絶対に産むから」  
 菜穂の両親があまりに必死で頼み込むものだから、あれから何度か純平は現在彼女が寝起きしている拘置所へと足を運んで面会していた。拘留された当初の菜穂は随分と荒れていたようだが、今は子どもの為に色々と準備をすることで随分と落ち着いているのだと、彼女の担当官から説明された。だから、刺激するなと釘を刺され、純平はただ菜穂の話を終始聞くだけの面会だった。
 「赤ん坊って自分の顔を引っ掻いちゃったりするでしょ。だからね、今、それを防ぐための手袋を編んでるの」  
 菜穂が真っ白い毛糸を見せながらそう微笑む姿は純平には幸せそうで眩しく見えた。今後、菜穂に待ち受けるのは決して愉快ではないことばかりだというのに、それでも彼女は微笑んでいる。
 「……この子がいれば、あたし、頑張れるわ」  
 菜穂が腹部を愛おしげに撫でながら呟いた言葉が純平には重かった。もし、その子を風花が育てる為に引き取るから手放せと口にしたら、菜穂は一体どうなるだろう。多分、いや確実に発狂するだろう。それが理解っているからこそ、菜穂にそんな話を切り出せるわけもない。
 「私……もう子ども産めませんけど、やっぱり、『おかあさん』になりたい気持ちがあるんです」  
 しかし、すぐに純平の脳裏には寂しげにそう呟いた風花の横顔が蘇った。もう隠し立てする気はないのだろう、最近、風花は自分が子どもを喪った、「あの夜」のことを酷く断片的ではあるものの、ぽつりぽつりと口にするようになった。
 「……風花、あのさ――」  
 風花がその話をする度、純平は己の罪を詫びる為に口を開こうとする。しかし、風花はそれを赦さない。風花はいつも純平の唇を枯れた細い指先でそっと封じながら、どこか寂しげに微笑んで話をこう切り上げるのだった。
 「まぁ、もうどんなに私がここで嘆いたって、貴方に謝られたって……あの子は二度と戻ってこないんです。それが理解っていても、やっぱり、考えてしまうんです。お気になさらず」  
 もし「あの夜」に子どもを喪っていなければ、風花も菜穂のように幸せそうに微笑んでいたのだろうか。純平はどうにもならない、そんな「もし」を脳裏に浮かべ、ただ唇を噛みしめていた。

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