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第6章

停滞する現在と加速する過去 2

 「……あれ? 」  
 風花の病室を出た純平が廊下を歩いていると、若い女性患者の乗った車イスを押す看護師とすれ違った。この病院では患者の気分転換を目的にこうして看護師が中庭に散歩に連れ出すこともある。この看護師と患者もその手合いかと思い、純平はすたすたと歩き続け、1階にある自分の診察室のドアノブに手を掛けようとした。だが、その時、あることに気づき、慌てて元来た道を戻り始めた。風花がいるのは病棟3階の角にある一人部屋の病室であり、その周辺の病室は便宜上、すべて空室になっているはずだ。それに加え、その近辺には階下(した)の中庭に行くためのエレベーターや階段の類もない。だから、そっちに看護師と患者が行くのは不自然だった。
 「まさか……」  
 慌てて風花の病室へ戻ろうとする純平の脳裏にふっと不吉すぎる予感がよぎった。ただ、新人の看護師がまだ病院の構造を覚え切れていなくて間違えているのかもしれない。いや、そうであって欲しいと純平は切に願った、神に祈った。ようやく修復を始めた、風花とのかけがえのない日常を失いたくないという思いとは裏腹に、思うように足が動かない。でも、走るしかない。  「きゃぁぁぁぁ」  
 1階から3階の階段まで一気に上り詰め、肩で息をしながら更に病室に向かおうとする純平を嘲笑うかのように、次の瞬間、3階の廊下に絹を裂いたような悲鳴が響いた。悲鳴を聞きつけ、慌てて3階のナースステーションから看護師がばらばらと飛び出し、患者たちが病室のドアから顔を覗かせる。だが、純平はそんなこと、もうどうでもよかった。ともかく、風花の安否を確かめたかった。
 「風花っ! 」  
 病室までの廊下を何とか転がるように走り、純平は慌ててドアをガラリと開けた。
 「……せ、先生っ。わ、わ、若奥様がーー」  
 純平の視界に飛び込んできたのは、床の上に座り込んだサキムラとその腕の中でぐったりとする風花の姿だった。風花の腹部には細身のナイフが突き刺さり、そこから流れ出す血が白い彼女の病院着を紅く染めている。
 「……あ、あたし、刺すつもりはなかったのよ。ちょっと脅すだけだったの」  
 そんな言い訳じみたことを喚き散らす女性患者、いや女性患者に変装した菜穂がおろおろと自分の腕にすがりつくのを振り払い、純平は病室の入り口で突然の事件に何をどうしていいか判断がつかず、未だにただ呆然と立ち尽くす他の看護師の方を振り向いた。
 「……何してる。早く、ストレッチャー持ってこい! あと、処置室と手術室の準備! それから、警察に電話だ。さっさと動け」  
 看護師たちがバラバラとそれぞれの役目に走り出した後、純平はすぐに風花の元へと駆け寄り、そっとその頬に触れ、必死に呼びかけた。
 「……風花っ、風花っ」
 だが、そんな純平を嘲笑うがごとく、風花の瞼は堅く閉ざされ、微動だにしなかった。   

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