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第5章

秘めたる良心と露わなる悪意 7

  明らかに菜穂の仕業だった。
  ――ぼくにはパパがひつよう!! おばちゃんにひとのこころがあるなら……――  
 風花が病室のドアに挟まれていた封筒を開けると、可愛らしい便箋に子どもの拙い字がそんな風に踊っていた。そして、ご丁寧に胎児らしき影が映っている、エコー写真まで添付してあった。幸い、この出来事にあからさまに憤慨しそうなサキムラはまた人手が足りないとかで借り出され、今は不在だった。
 「……ふぅん。おばちゃんって、そう大してママと年齢(とし)、変わんないんだけどねぇ」  
 便箋に綴られていた手紙の文言に微苦笑を浮かべつつ、風花はぼそりと呻いた。だが、胎児らしき影の映ったエコー写真がちらりと視界の隅に入ると、ちくりと微かに下腹部が痛んだ。
 「『ひとのこころがあるなら……』、さっさと別れろってことね……まず、君のママに人の心がないじゃない。全部知ってるくせに、こんなモノを送りつけといて」  
 風花はそっと指先でエコー写真に映る胎児らしき影をなぞりながら、低い声で呟いた。菜穂が今まで自分にしてきた仕打ちは確かに許せない。ただ、いくら今は昔ほどではなくなったものの、やはり嫡出子と非嫡出子では世間の扱いが違うことを考えれば、菜穂が純平との結婚に拘る理由も何となくは理解できた。いくら自分に酷い仕打ちをした女でも、その腹に宿った子にしてみれば、かけがえのない母親なのだ。そして、その腹に宿った子はその女にとってかけがえのない子どもなのだ。菜穂の行動から推察される心情は、あくまでそれは風花の想像に過ぎなかったが、。
 「……あーあ」  
 風花はこれから実行する自分の計画に対して、ほんの少し良心の呵責を覚えながら、微かに呻いた。菜穂に対して、どうしようもない程の憎しみはある。それは殺すだけでは飽き足りない。そして、少なからずその腹に宿っている子にもそれを感じる。だが、母親に憎しみがあるからとはいえ、子どもにまでそれをぶつける行為は完全に間違っているのかもしれない。
 「っ……何、仏心出しちゃってるんだろう」  
 あの計画を中止するつもりなのだと、修二の携帯に思わず電話をかけようした自分を風花は嘲笑った。あの女に自分と同じ苦しみを味わわせなければ、気が済まない。妊娠した菜穂の必死な様子に、憐れみと共にそう思ったじゃないかと、風花は首を何度も横に振り、ちくちくと痛む良心の呵責を振り払おうとした。だが、その呵責を振り払おうにも振り払えない自分がいた。
 「……バカ、みたい」  
 風花はわっと両手で顔を覆った。じわじわりと視界が歪み、頬の上を気持ち悪い温もりが幾つも幾つも滑り落ちていく。
 「……っふぅ」  
 慌ただしく廊下を通っていく病院の職員たちに泣いているのを悟られたくなくて、風花はシーツを引き寄せると、それに顔を押し当て、声を殺して泣き続けた。いくら声を殺したところで、腫れぼったくなった目元でサキムラには泣いたことが理解るかもしれない。ただ、サキムラはきっとその理由は聞かない。それが今の風花にとって唯一信じられることであり、救いだった。

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