幾つもの嘘と一つの真実 3 「……嘘つき」 純平の去った病室で一人、風花は自分自身に向けて呟いた。菜穂の胎内で今育っている子どもが別に誰の子どもであろうと、別に構わない。第一、復縁など小指の爪ほども考えてはいない。ただ、幸せを奪った菜穂、純平が何の犠牲もなく、幸せになるのが赦せなかった。勿論、あの二人を不幸のどん底へ突き落としたとしても、もうあの奪われた幸せは戻らないことくらい、風花も理解っていた。 “Don' t cry over spilled milk” 風花は老婆のような酷く嗄れた声でそうぼそりと呟いた後、窓からぼんやりと外を眺めていた。窓の外の世界、未だにじりじりと日差しは強いようだが、よくよく見ると、秋の訪れが近いようだ。あれからもうすぐ1年経つのだなぁと、急にしみじみとした感情が風花の胸を満たしていた。 「……若奥様、どうかなさいましたか? 」 風花がそんな感慨にふけっている間に、薬を取りに行っていたサキムラがいつの間にか戻ってきていた。サキムラはどこか心配そうな表情を浮かべ、風花の顔色を窺ってきた。 「いいえ、何でもないですよ」 風花はサキムラの問いかけに穏やかな微笑をそっと浮かべた。サキムラは優しい。多分、菜穂が病室に来たことも、彼女の目的も、噂好きの看護師を通じて知っているのだろうが、あえてその話題について風花に訊ねようとは、詮索しようとはしない。ただ、そっと寄り添ってくれる。もしも、あの晩、サキムラが側に居てくれたら、この胸の奥に沈んでいる結論も少しは変わっていたかもしれないと、風花は考えても仕方ないと知りながら、そんな事をふと脳裏によぎらせた。 「……ねぇ、サキムラさん? 」 「何でございましょう? 」 「少し外の空気、吸いたくなったの……欲しいものもあるし、外出許可とか貰えないかしら? 」 本当は外の空気など吸いたくもなかったし、欲しいものなんてなかった。ただ、この小さな病室に居続けたら、また忌々しい菜穂や純平がやって来る。それを拒絶することは出来ないかもしれないが、出来るだけ接触の機会は少なくしておきたかったのだ。 「ちょっと私では判断が出来ないですが……副院長先生にお願いしてみましょうね。もしかしたら、外出すれば少しは食欲もお戻りになるかもしれませんしね」 ここ数日、風花は少し体調を崩していた。そのせいであまり食欲もなく、サキムラとしては心配していたらしい。サキムラの言葉に風花はふっとまだ寂しげな微笑を浮かべ、ふと呟いた。 「もし元気になっても……別にもう『こうしたい』とか、『ああしたい』なんて、ない、のにね」 身体が仮に健康になっても、心にぽっかりと空いた穴が絶対埋まることはない。そのぽっかり空いた穴を埋めるものなど、思い当たらない。そんな時、窓の外に何か、丸く光るものが見えた。 「まぁ、しゃぼんだまですよ、若奥様」 どうやら親に連れられてきた子どもが退屈しのぎに中庭でシャボン玉を飛ばしているらしい。窓の外でふわふわと舞うシャボン玉を見つめる風花の瞳はやはりどこか哀しげなまま、だった。 |