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第3章

自己による断罪と他者による救済 6

 「あ、やっと来た……随分待ってたのよ、純」
 疲れた体を引きずりながら駐車場まで来た純平を待っていたのは、どこか嬉しそうな表情を浮かべた菜穂だった。普段の服装よりだいぶ野暮ったい服に身を包んだ菜穂に純平は冷たかった。
 「……何の用だ? もう、終わった、はずだろ」
 あんなに夢中になっていた菜穂の笑顔が妙に汚らわしく、忌々しい。純平は思わず顔を背け、足早に菜穂の横を通り抜けようとした。だが、菜穂はそれを許さず、純平の腕を掴んで離さない。
 「だめ、帰さないわっ。ねぇ、純……大事な話があるの」
 「何だ? 忙しいんだから、さっさと言え」
 純平は不機嫌そうに促した。すると、菜穂は微笑を浮かべ、純平に高らかにこう宣言した。
 「あたし……お母さんになるのよ」
 菜穂のその言葉を聞いた瞬間、純平の言語回路は一気に凍り付いたらしく、言葉が出なかった。
 「この子は間違いなく、純の子どもよ。明日、お義父様とお義母様には話に行きましょ」
 菜穂の頭の中ではもう既に純平の妻として迎えられる自分の姿がイメージされているのだろう、その口調からは明らかにそのイメージに酔っていることがうっすらと伝わってきていた。純平からしてみれば、それは妄想という名の菜穂の自分勝手なイメージではあったが、そもそもそういった妄想を彼女が抱くきっかけをつくってしまった、別れ話を持ち出した時点でそうした可能性を考慮にいれなかった自分の落ち度を呪った。しかし、呪ったところで状況は変わらない。
 「……しょ、証拠はあるのか」
 そう問い返した自分の声がかなりカサついていることに気づき、純平はぺろりと唇を舐めた。
 「あるに決まってるじゃない……だいたい、あたしが付き合ってたのは純だけだもの」
 菜穂はきっぱりとそう言い放ち、相変わらず婉然とした微笑を浮かべていた。そんな菜穂に足し、純平は「俺だけ? 嘘をつけ」と言いたくなるのを必死で耐えた。実際、菜穂には自分以外にもかなり親しくしていた男友達が複数いることくらい、以前から気付いていた。しかしながら、愛人という不安定な立場に菜穂を置いていた負い目があり、結局何も言えなかったのである。
 「…………」
 菜穂に返せる言葉が見当たらず、純平はただ彼女を、そして今新たな命が宿っているという彼女の腹部をまじまじと見つめた。すると、菜穂は何を勘違いしたのか、そっと自分の腹部を優しく撫でまわした。あの時、人形のように無反応な風花が面白くないから爪を剥げと、残酷なことを言った女とは思えない、まるで別人のような優しげな表情に、純平は思わず微苦笑を浮かべた。女から母親に変わるというのはこんなことなのだと、はっきり見せつけられたような気がした。
 「……それで、産んでも、いいよね? 」
 「え? 」
 菜穂は純平の微苦笑に気付かないのか、まるで無邪気な子どものような瞳でそう尋ねてきた。純平の子どもが出来れば、自分は受け入れて貰えると、別れ話を撤回して貰えると、純平サイドが風花を切り捨てると思っているのだろうか。そんな菜穂が少しだけ、哀れだと純平は思った。


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