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第3章

自己による断罪と他者による救済 5

 「いい気分転換にもなるし、散歩してもいいと思うの」
 小夜子のそんな一言がきっかけになり、風花の病室拘束生活は一変した。散歩という名目で病院内を自由に歩けるようになったのだ。だが、ここで自由という言葉を使うのは弊害がある。小夜子はあの夜の出来事を全て知っている。そのため、風花一人で歩かせると、危険だと判断されたらしい。そのため、散歩にはあの純平との一件以降、風花の専任看護師にされたらしい師長のサキムラが監視役として付いて来る、いやぴったり張り付いて来ることになった。他人から見れば前より自由になったように思われたが、風花にとって状況はあまり変わらなかった。
 「若奥様……外は日差しが強いでしょうから、日焼け止めと日傘をお持ちしますので、しばらくお待ち下さいね。そうでもなければ、お肌が赤くなったり、痛んだりして大変ですからね」
 すっかり病院暮らしでデリケートになった風花の肌には梅雨明け以降の日差しは刺激が強すぎると、サキムラは強固に主張した。別に肌が赤くなろうと痛もうと困らない。そんなことをあれこれ気にしていた頃が懐かしいと言わんばかりに一瞬ふっと目を細めた後、風花はそのまま散歩に出掛けようとした。だが、サキムラは容赦ない。出掛けようとする風花の手をぐっと握りしめてその動きを封じ、ナースコールで他の看護師にそれを持って来るように頼んだのである。
 「サキムラさん……そんなに強く掴まなくても、私、別に逃げたりしませんよ」
 自分の両手首をぐっと掴んで見つめるサキムラを風花は困ったように見つめた。どうもこのサキムラという師長は「風花の保護」という任務をどうあっても成し遂げる腹づもりらしい。
 「ねぇ、サキムラさん……副院長先生から、何か言われたの? 」
 あまりにサキムラが自分の両手首を離さないものだから、風花は困ったように微笑して、サキムラにそこまで頑なになる理由を尋ねた。すると、サキムラはその顔を寂しげな微笑に陰らせた。
 「いいえ……ただ、ここで手を離したら、若奥様はどこか遠くへ、ふっと消えてしまいそう、で」
 「消えてしまいそう、ね……人一人、簡単に消えられるほど、この病院は甘くない、でしょ? 」
 風花は冗談めいた口調でそう答えると、サキムラに向かってぱちんと軽く片目を瞑ってみせた。だが、サキムラは相変わらず寂しげに微笑し、酷く穏やかな口調でこう問い返した。
 「若奥様……ご自分をそうして偽られて、お辛く、ないのですか? 」
 サキムラのその言葉の響きに彼女も“あの夜のこと”を知っているのだと、風花はうっすらと理解った。そう考えれば、サキムラが自分の一挙一動にかなり気を遣っている理由も納得がいった。そのため、風花はそれまで浮かべていた微笑を急に引っ込め、無表情になってこう答えた。
 「辛いですよ……でも、辛いなんて言ったところで、辛さが消える、わけじゃないですから」
 「若奥様」
 「辛い、辛い、辛い……そう唱えて、失くした幸せが戻るなら、あの子を守れなかった罪が赦されるなら、何度でも、どんなに血を吐いてだって唱えました。でも、奇跡は起こらなかった」
 「それは、若奥様の罪ではありませんよ。むしろ、若先生の……」
 「判った時に私がすぐ逃げてれば良かったのよ……そうすれば、今頃、あの子は――」
 冷たい病室の床に崩れ伏してそう泣きじゃくる風花の背中をサキムラは静かに撫でてくれた。


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