!DOCTYPE HTML PUBLIC "-//W3C//DTD HTML 4.01 Transitional//EN">
第1章

饒舌と沈黙 5

 「け、結婚指輪だって? 」
 ノイズのような純平の声に思わず耳を塞ぎたくなりながら、風花は彼の言葉に頷いた。どうやら既に自分の指に結婚指輪がないことを純平は気づいていなかったらしいと知り、風花は静かに溜息をついた。
 「ど、どこに置いたんだ? 」
 「……だから、それを探すのが賭けですよ。喋ってしまっては何にもなりません」
 風花は穏やかな口調でそう言ったが、その声は以前と比べて酷く乾いており、まるで老婆のそれのようだと自分自身でも驚いていた。純平が落ち着きなく唇を舐め回している姿に風花は、それが動揺した心を宥めるための彼の癖だということを思い出した。
 「……どうします? 」
 「……もし、俺が賭けに乗らなかったら、どうする? 」
 「さぁ……」
 風花は純平の問いかけをはぐらかすようにそう答えると、再び口を貝のように閉ざすことにした。純平が賭けに乗らないのならば、それはそれで構うことはなかった。そろそろ身体もそれなりに動くようにはなったのだから、隙を見て病院を抜け出すことくらいは、自分の死に場所を探すことくらいは出来るだろう。今まで純平に贈られた貴金属や高価な持ち物の殆どはみな、ある人を介して換金した。ある人だけはこれまでの経緯や真意をよく知っていて、それが何に使われるのかということを知っていながらも、快くその役を引き受けてくれた。
 「……なぁ、風花」
 「…………」
 賭けに参加しないのなら別に純平と口をきく必要はないと考えた風花はシーツを頭から被り、彼が病室を出て行くのを待った。
 「俺が賭けに勝ったら……お前、前みたいに微笑ってくれるか? 」
 「貴方がそれを望むなら」
 「……指輪は見つけ出すから、必ず」
 純平はそう真剣な声でそう言うと、昼からの診療があるからと言って病室を出て行った。誰もいなくなったのを見計らい、風花は先程よりも深い深い溜息をついた。
 「見つかるわけ……ないじゃない」
 風花は結婚指輪を捨てた日のことを思い出した。まだあの頃は地下室に監禁されておらず、帰った後にいわれのない理由で殴られることを我慢すれば外出が出来た。だから、あの夜が明けるとすぐに家を出て、人目を避けるように郊外にある港へ足を運んだ。昼間だというのに、猫一匹すら見あたらない、閑散とした、いや音がないようにすら思われる場所。大きな倉庫街を抜け、埠頭まで辿り着き、その暗い水面にそれを投げたのだから、今頃はヘドロに埋もれているはずなのだから、探すのは相当な時間と費用がかかるに違いない。風花はくすくすと声を立てずに笑い出した。それは闇雨の中で咲き誇る紫陽花の花よりも妖しくも淋しげな微笑だった。

<< Back   Next >>