当の本人はセクシーハスキーボイスと主張するけれど、傍目には完全なる酒焼けで嗄れてるとしか聞こえない声。
きらびやかなネイルやリングで飾りたてられた、華奢とはお世辞にもいえない、骨ばった指。
夜の蝶も真っ青になって即刻立ち去りそうなくらい、気合いの入り過ぎたメイク。
まるで子どものように無邪気にチョコレートパフェをつつきながら、莉緒は微笑んだ。
「……別にいいじゃない。あたし、困ってないし」
あたしはコーヒーに口をつけながら、その言葉を受け流す。すると、莉緒はすっとパフェスプーンをあたしの鼻先に突きつけ、きっぱりと言い放った。
「……ダメよ、そんな受け身姿勢じゃ。今の世の中、攻めの姿勢でなきゃ、いい恋愛はできないわよ」
「あら、攻めの姿勢で恋愛して、ダメ男に引っかかって毎回泣かされて終わってるのは誰かしら? そうなると必ず、こうやって休みにあたしを呼び出すのは誰かしら? 」
あたしは突きつけられたパフェスプーンをケーキ用のフォークで軽くいなし、必殺スマイルで首をかしげた。莉緒が妙に熱っぽく「恋愛しろ」と言ってくると、あたしは必ずやんわりと言葉に毒を含ませ、こうして微笑む。そうなると莉緒はたいてい黙る。
「ゴ、ゴメン。ワ、ワルギハナイノヨー」
莉緒が慌てて片言で謝ってくる。
莉緒がこうしてあたしを呼び出すのは、たいてい悪い男に引っかかって終わった後。
今回の呼び出しも、莉緒が仕事から帰ったら、彼氏だった愛しの「カズくん」が一緒に暮らしてた部屋から、多少の金目のものと一緒に失踪していたという、あたしから見れば「またなの? 」という恋の終わりが原因だ。
「悪気はないんだろうけど……もうちょっと学習すれば? そのパターン、もう何回目? 」
「し、仕方ないじゃないっ。ほら、恋っていつも初めてって感じがするんだもん」
「それで毎回ダメ男に貢いで捨てられて……だいたい、アンタはさ、『ダメ』って絶対言わないじゃない。だから、舐められるんじゃないの? 」
男は優しくしているだけだと、言うとおりにしているだけだと、「こいつは俺にすっかり惚れているんだ」と思い上がってつけあがる。だから、飴と鞭を上手に使い分けなければ、泣くのはこっちだ。
あたしの指摘に莉緒はぼそぼそと言い訳する。
「だって……アタシ、紗英ちゃんみたいに『ホンモノ』じゃないもん。だから、こんなアタシでも大事にしてくれるんだって思っちゃう、から」
莉緒はそう言うか言わないかのうちに、ボロボロと大粒の涙を零し始めた。あたしは慌ててハンカチを差し出した。莉緒と会う時はいつも必ず持ってくる、大判のハンカチだ。別名フェイスタオルとも言う。
外見はどんなに繕ってもかなり酷いレベルの女装した男にしか見えないけど、内面は完全に女性の莉緒。それでも、「自分は『ホンモノ』じゃないから」という身体の負い目が莉緒にとってマイナスの恋愛を繰り返させているんだと、あたし自身よく理解ってる。
「あのねぇ……アンタは何をもって『自分はホンモノじゃない』って認識なわけ? 」
「……だって、アタシ、まだ前の身体のままなんだもの」
莉緒の身体はまだ以前の男のままだ。自分を苦労して育ててくれた母親が「せめてあたしの葬式までは身体に傷をつけないでくれ」と言ったとかで、忠実にそれを守っている。
「それでもいいって、相手は言ってくれるから付き合うんでしょ? もっと自信持って、自分を大事にしなきゃ」
「紗英ちゃぁぁーん」
あたしの言葉で莉緒の涙腺は一気に崩壊したらしい。
最終的にはあたしたちは「今後の出入り禁止」という土産とともに店を出た、つまりは追い出された。
「あー……まぁ、いいか。あそこのパスタ、最近味が落ちてたし」
店を出てからあたしは何度かそんな軽口を叩いたけれど、莉緒は泣き止まなかった。
道行く人が何事かとちらりと投げかけてくる視線に耐えきれなかったあたしたちは、急遽カラオケボックスに飛び込んだ。
「ここならどんなに泣いても大丈夫でしょ」
歌えもしないハードロックを何曲も予約して、あたしは安っぽい薄いアイスコーヒーを啜った。
莉緒にはアイスココアを選んでやったが、どうせ泣き止む頃にはうっすらとアイスココア風味な水になるだろう。
「ご、ごめん、紗英ちゃん」
あたしが差し出したタオルが涙で溶けたメイクにすっかり黒く染まり切った頃、ようやく莉緒は泣き止んだ。気合いの入っていたメイクはもうすっかり落ちていた。
「……落ち着いた? 」
「ん」
「まぁ、こう言うのも何だけどさ……以前(まえ)みたいに借金を背負わされなかっただけでもいいんじゃない? 」
まぁ、『カズくん』に持って行かれた金目のものも相当な額だったかもしれないけれど、以前『コウくん』に背負わされた借金よりは大分少ないだろう。あの時の莉緒は寝る間も惜しんで働いたり、あたしを含めた知り合いに何とかお金を借りて、ヤバいことにならずに済んだ。問題はその後だ。女と出ていったはずの『コウくん』が「やっぱり、お前じゃなきゃダメだ」と都合良く戻ってきた。きっと女に捨てられたんだろう。あたしなら「バカじゃない? 」と蹴りだしてやるところだが、莉緒は「いいの」と受け入れかけた。その場に居合わせたあたしが完全にブチ切れて、『コウくん』に左ストレートをかまさなかったら、きっと今頃、莉緒はここでこうして泣いてもいられなかっただろう。
「ん……紗英ちゃん、いつもごめんね」
「何よ、今更? 」
「いつもいつも、頼ってばっかりだから」
「いいって。それに、嫌だったらいくら幼なじみでも、とっくに付き合いやめてるから」
「紗英ちゃん……紗英ちゃんに『好きなひと』が出来たら、ちゃんと相談してね。アタシ、こんなんだけど、できるだけ、力になるから」
いくら落ち着いたからとはいえ、失恋の痛手が癒えるまではまだしばらくは時間がかかるだろう。それでも、どうせ、また莉緒は同じようなダメ男に引っかかって泣くだろう。どんなに痛い目に遭ったって、困ってるダメ男を放っておけないはずだから。
結局、莉緒は今の世の中を生きていくにはあまりに優し過ぎるのかもしれない。
「ん、ありがと」
あたしは莉緒の言葉にそう返事したけど、相談するつもりはない。いや、口が裂けても相談なんか出来るわけがない。だいたい、『好きなひと』ならずっと前からいる。もう何年も何年も片想いのままで、絶対に叶うこともない、不毛な恋をあたしはし続けているのだから。
「紗英ちゃぁぁーん、愛してるっ」
冗談混じりの莉緒の言葉に微かに胸をざわめかせてしまう自分に苦笑しながら、あたしは少しだけ本音を零した。
「あたしも莉緒のこと、大好き」
莉緒はダメ男に騙される度、あたしを頼ってくる。ダメ男と恋に落ちている間はあたしのことなんて二の次なのになるくせにだ。恋が終わると同時に、いつも莉緒はあたしの所に戻って来てくれる。そして、元気になってまた別のダメ男の所に行ってしまう。あたしには散々な結果しか残らない。
莉緒にはああ言ったけれど、学習能力がないのは、あたしの方。
「ねぇ、紗英ちゃんの好みってどんな人? 」
カラオケボックスからの帰り、不意に莉緒からそう問われた。それがどれだけ酷な問いかけか、莉緒は知らない。
知らないことは残酷だと小さく苦笑を浮かべ、あたしはこう答えた。
「やさしくて、ざんこくなひと、かな」
「それ、完全な『不幸フラグ』じゃない」
そう、これは確実に「不幸フラグ」の恋。だけど、それでも手放せない恋。だからこそ、伝えられない恋。
「そうかもね」
「あの、アタシが言うのも何だけど……もっと自分を大事にしなきゃ。だって、アタシ、紗英ちゃんには絶対に幸せになって欲しいから」
「あはは、それ、そっくりアンタに返す」
やさしくてざんこくなひと、それは目の前にいるあなたのことです。