第二章

絡まっていく糸 17

 「……お疲れ様っす。鳴っちのおかげで助かったっす。もう遅いから、ウチに泊まっていけばいいっす」  
 出来上がった原稿をスズキが編集部に持ち帰った後、理亜がぼそりとそう言い放った。あの食事の後、元々頼まれていた仕事以外の仕事を更に頼まれた涼が、それら全てが終らせる頃には既に時計は0時を過ぎていた。
 「……い、いや、さ、さすがにそれはちょっと」
 「ああ、部屋なら心配ないっす。男のアシさんたち用の部屋が空いてるっすから」
 「そ、そうじゃなくて……ああ、峰谷が明日早いらしいので――」  
 実際のところ、七世との決着をつけないままで、あゆみの家で夕食を頂いた上、泊まるのはやり過ぎだろうと、涼は遠慮がちにそう断ろうとした。
 「だって、腰巾着、酔い潰れてるっすよ。浅姉と沙穂に潰されてるっす。明日はフリーだとか言ってたから」  
 理亜はそう言うと、リビングの方を指した。そこにはソファーに酔っぱらって寝そべっている峰谷の姿があった。そして、「ちょっくらコンビニに行ってくるっす」とだけ言い残し、さっさと外へ出掛けてしまった。
 「……ミネヤ」  
 自分が断り文句に峰谷を使うのを予測されていたのだろうと涼は低い声で呻いた。酔い潰れた峰谷の横では浅子と沙穂もすやすやと寝息を立てて眠っている。そして、あゆみはそんな3人の身体にそれぞれ毛布をかけてやっていた。
 「……ごめんなさい、ウチの姉たちが」  
 何か言いたげな涼の様子にあゆみがふっと気づいて、再び申し訳なさそうな表情で頭を下げた。  
 (い、いやいや、お前が謝ることじゃねーし。そ、それに、そんな表情(かお)すんなよ。よ、余計に帰り辛いじゃねーか)
 「い、いや……まぁ、峰谷もたまにはいい骨休めじゃねーかなと思うぜ。あんだけ美味い晩メシ喰った上で、お前の所の、綺麗な姉さんたちと飲めてさ」  
 あんまりあゆみが申し訳なさそうな表情で落ち込んでいたので、涼は無意識にぽふっと彼女の頭に右手を置いて、そう慰めていた。
 「あ、ありがとう、ございます」
 「いや、それはこっちこそで……」  
 頭に置かれた手に頬を染めて自分を見上げてくるあゆみを見ているうちに、涼のそれまで固まるに固まりきらなかった気持ちが、休息に固まった。本来ならば二人っきりになってその話はすべきなのかもしれないが、幸い、自分たち以外の人間は皆酔い潰れている。涼は意を決するように、深い溜息をついた。
 「ごめん、な」
 「はい? 」  
 あゆみがきょとんとした表情でこう訊いた。
 「な、何で謝るんですか? 」  
 そんなあゆみの言葉にふっと微苦笑を浮かべつつ、涼は更にこう続けた。
 「嘘、ついてたから」
 「うそ? 」
 「ん……前にさ、『お前に想われても迷惑だって』言っただろ。あれ」  
 自分の言葉を聞いて、あゆみの瞳孔が大きくなるのを見ながら、涼は更に言葉を続けた。
 「ホントは、すげー嬉しかった。ってか、正直、俺なんかを五月が好きになってくれるはずねーって……思ってた、から」  
 そんな涼の言葉にあゆみが戸惑うような表情で何かを言おうと唇を動かそうとした。しかし、涼はその柔らかな唇の動きをすっと左手の人差しで封じ、静かな口調で訊ねた。
 「ナナセのこと、気にしてる? 」  
 あゆみは上目遣いでじっと涼を見つめた後、こくんと頷いた。
 「そっか……そりゃ、そうだよな。ごめん。んなことも気づかねーで、俺、駄目な奴だな」  
 涼はそっとあゆみの唇から指を離すと、どこか自嘲的にそう呟いた。そんな涼の呟きに触発されたのか、あゆみもこう呟いた。
 「駄目なのは……私も同じです」
 「……え? 」
 「七世さんと鳴沢君のこと知ってるくせに……さっき、すごく嬉しいって思ったんです」
 「……五月」
 「でも……その後、すぐに七世さんのコトを思い出しちゃって。何か、色々と駄目だなぁって。欲しいものは欲しいって、ちゃんと言わなきゃ伝わらないから駄目だって、いつも、言われてるのに」  
 あゆみが微苦笑を浮かべた。それは涼が初めて見る表情だった。
 「五月……もう少し、待っててくれねー? 」  
 涼はそうあゆみの耳元で囁くと、彼女の額に、ぎこちない態度でキスをそっと落とした。
 「は、はい」  
 そう答えるあゆみの声が微かに震えていた。  

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