Short Short Story & Short Story(掌編・短編)

からっぽ

 「へぇ、意外と明るいもんなんですね……取調室って―? 」
 初めて入った取調室はドラマで見ていたそれよりも酷く明るい場所で、僕はふっとそう呟いた。
  「ああ、まぁドラマよりは……ただ、この部屋に来た人間でそう言ったのは君が初めてだよ? 」
 先にイスに座って僕を待っていた、どこか穏やかな、初老の刑事は微苦笑交じりにそう答えた。
  「確かに……普通は考える余裕なんかないでしょう。この部屋に連れて来られると―」
  「お前、それが人を殺した後のっ―」
 僕がそうやって笑ったせいか、護送してきた若い刑事が正義感丸出しの態度で掴み掛かってくる。その正義感はよくよく分かるが、随分と暑苦しい刑事だなぁと僕はまるで他人事のように思った。そう……僕は大学の先輩を殺した罪でついさっき逮捕されたばかりの、真新しい殺人犯なのだ。名前は谷村 カケル、都内の有名私立大学の教養学科に通う、ごく普通の大学生を演じていた。
  「……まぁ、落ち着きなさい、タナカ君。彼の言い分も聞こうじゃないか― 」
 初老の刑事は相変わらずどこか穏やかな口調で、タナカというこの若い刑事の行動を制止した。
  「し、しかし、コバヤシさんっ……」
 初老の刑事はコバヤシという名らしいが、一部の同僚にはコバさんと呼ばれているんだろうか。
  「ただ、埋めたかっただけですよ……この3年間の心の隙間を―? 」
 僕が苦笑交じりにふっと肩をすくめてそう呟いた事が、また若い刑事の神経を逆撫でしたらしい。
  「き、貴様―っ……お前が殺した和田 ハヤトの家族に申し訳ないと思わないのかっ? 」
 若い刑事は口から泡を飛ばしてそう怒鳴りつけると、イスに座っていた僕の胸倉をぐっと掴んだ。
  「まぁまぁ、タナカ君……谷村君、君も少しはその態度を改めないと― 」
 初老の刑事は穏やかながらきっぱりとした口調でそう言い放ち、タナカと僕を静かに引き離した。
  「すみません……」
  「コバヤシさん、でも……すみませんでした? 」
 その穏やかながらきっぱりとした口調に、僕と若い刑事は思わずふっと謝罪の言葉を口にした。
  「分かればいいんだよ、二人とも……それじゃ、取調べを始めようか? 」
 僕がドラマで観慣れていたあの取調べのシーンとは全く違う、穏やかで静かな取調べが始まった。それは、僕の名前と住所の確認に始まり、被害者の和田 ハヤトとの関係の話へ進んでいった。
  「君と和田君は随分親しかったそうだね……もしかして、それが動機に関係しているの? 」
 既に僕と和田の関係については捜査済みなのであろう、老刑事は穏やかな口調でそう尋ねてきた。 先程僕に掴み掛かって来た、あの若い刑事は部屋の隅に置いてある机で静かに調書を取っている。
  「いえ……動機は、僕が和田と親しくなる前からありました」
  僕は和田を殺した時のあの感覚をふっと脳裏に浮かべながら、ぼそりと老刑事の問いに答えた。
  「親しくなる前から? 」
  「ええ……というよりも、和田を殺す為に親しくなったんですよ、僕は―」
  「それはどうして? 」
  「アイツが、アイツが……メイを殺したからですよ」
*********
  「……嘘だろ? 」
  酷く白い菊の花が敷き詰められた棺に横たわり、静かに眠っているメイに僕は思わず問いかけた。 昨日まで薄桃色だったメイの頬は菊の花よりも更に白くて、よく出来た蝋人形にも似ていた。
 昨日、メイは僕と別れてすぐ、信号を無視して走ってきた無免許少年の車にはねられてしまった。 そして、病院に搬送される途中、救急車の中で息を引き取ったらしいと、誰かが教えてくれた。
  「じゃぁ、カケル、また明日ね」
 昨日、真夏の向日葵みたいな笑顔で僕に手を振ってくれたメイと目の前の彼女が重ならない。 目の前の現実を受け入れられない、メイの死を事実として受け入れられない僕がそこにはいた。 こんな時、涙の一粒や二粒くらい流れるはずなのに、僕の視界は相変わらずクリアなままだった。 周りは皆狂ったように泣いているのに、僕は透明な膜に覆われているみたいに何にも感じない。 大切な幼馴染の恋人が死んだというのに涙の一つも出ないなんて、僕は何て薄情な男だろう? そうだ、メイが死ぬはずなんかない……あんなに明るくて元気な彼女が死ぬはずなんてないんだ。 そんな時、不意に頭の中にそんな考えが浮かび、愚かな僕はそれが事実だと思い込もうとした。 これはメイとその周りの人たちが単に僕を騙す為に仕組んだ、真に迫ったお芝居に違いないんだ。 僕がここで泣いたら、きっと棺の中からメイがむくっと起きてきて、笑いながらこう言うんだ。
  「じゃーん、どっきりだったんだぁ」
  そんな手に乗るもんかと僕はそっと棺に横たわるメイの頬にすっと手を伸ばし、そっと撫でた。 メイはひどくくすぐったがり屋で僕がこうする度、「やめてよぉ」と笑顔で逃げ回るのだった。 だから、僕がこうすればメイはくすぐったさに耐え切れず起き上がってきて、芝居は終わるんだ メイが起きてきたら、僕は普段どおりの平然とした顔で彼女にこう勝ち誇ったように言ってやる。
  「何? もう、お芝居はおしまいなの? 」
 だが、触れたメイの頬はまるで陶器製の人形のように本当にひんやりと冷たくて、強張っていた。 そして、相変わらずメイの表情は静かに眠っているように動かず、起き上がっても来なかった 。
  「メイ? 」
  僕がいくら甘くて優しい声で名前を呼んでも、メイの瞼はちっとも動かない、ただ閉じたままだ。
  「メイ、冗談だろ? もう、十分だろ?いい加減、芝居はやめろよ!? 」
  眠ったままのメイに無性に腹が立ち、僕は他の参列者の目も気にせず、彼女をそう怒鳴りつけた。 そして、真っ白いワンピースを着たメイの両肩を掴んで、思いっ切り揺すって、起こそうとした。
  「……カケルっ!? 」
  だけど、メイの身体を僕が揺すろうとした瞬間、僕は父さんと母さんから羽交い絞めにされた。
  「カケル、メイちゃんは、本当に死んでしまったんだ」
  「嘘だっ、メイはちゃんと生きてるんだっ!? 」
  「カケル、メイちゃんにちゃんとお別れを言いましょ」
  「何で生きてるのにお別れなんて言わなきゃいけないんだよっ!メイは生きてるんだっ!? 」
  父さんと母さんは僕を羽交い絞めにしながら、嗚咽混じりの声で何度も何度もそう繰り返した。
*********
 メイが僕の目の前からいなくなって1週間経った日、僕はようやく彼女の死が本当だと感じた。 いつもメイが使っていた学校の机の上には誰が飾るのか、毎日、花を生けた花瓶が置いてあった。 毎朝あるSHRの出欠確認の時、担任の川島先生はメイの苗字である「咲島」を呼ばなくなった。 メイのおじさんやおばさん、そして弟のタケシはまるで笑顔を忘れたかのように無表情になった。 そして、毎日休み時間になる度に僕の机に届いていた、メイからの丸文字の手紙も来なくなった。
  「メイ……」
  昼休みになり、僕はいつも二人で一緒に昼食を食べていた学校の屋上に寝転がって、そう呟いた。 こうしていると不意に頭上から「あたしを呼んだ」なんてメイが現れそうな気がしたからだ。 だけど、いくら待ってもメイは現れなかった……あの少し舌足らずな甘い声すら聞こえなかった。 ああ、やっぱりメイはあの日死んでしまったのだと、今頃になって僕は涙が止まらなくなった。 そして、その日の帰り道、僕はメイの家の前に酷く高級そうな車が止まっているのを見かけた。 僕とメイが生まれ育ったこの町はひどく田舎だから、こんな高級な車が止まっていると目立つ。 だけど、メイの家族や親戚にこんな高級そうな車に乗っている人なんかいないと僕は知っていた。
  「……アイツらだ」
  アイツら……それは僕から、メイの家族から彼女を奪った、無免許少年の家族と弁護士の事だ。 どうやら少年は街の結構有名な代議士の息子らしく、今回の事を公にはしたくないらしい。 だから、こうやって折に触れてメイの家を訪れては、おじさんたちに汚れた金を渡そうとする。
 「どうか、お帰りくださいっ 」
  しんとした冬の空気に響くメイのおばさんの声の後、彼女の家の門から渋々アイツらが出てきた。
  「今日も受け取ってもらえないなんて……もっと金額増やすべきなのかしら? 」
  多少太り気味の中年女が眼鏡をかけた若いスーツの男に少しヒステリックにそう訊ねていた。
  「お金の問題なんかじゃない……いくらお金を貰っても、メイはもう二度と帰って来ない! 」
  中年の女のそんなヒステリックな言葉を耳にした後、僕は思わずそう叫びたくなるのを堪えた。 だって、この言葉を一番アイツらに言いたいのは僕じゃなくて、メイの家族だと知っているから。 僕がそんな事を考えているうち、アイツらの車はこの町には似合わない騒音と共に去っていた。 アイツらには自分たちの息子の非を詫びるつもりなんて、これっぽっちもないんだと僕は思う。 ただ、メイの家族が裁判やら何やらを起こして、この事件が公になるのを恐れているだけなんだ。 そんな時、不意に戸が開く音と共にぱぁっと白い粉のようなものが目の前の道に振り撒かれた。 アイツらが帰ったのを見計らって、メイのおばさんが清めの塩を撒いたのだと僕には分かった。
  「おばさん……? 」
 相手は街の有名な代議士……怒りをぶつけようにもぶつけられない、遣る瀬無さが伝わってきた。
  「……カケル、君? 嫌だ、変なところ見せちゃったわね」
  言葉を失くして立ち尽くす僕に気づいて、メイのおばさんが寂しげな表情で声をかけてくる。 親娘なせいか、その表情が生きていた頃のメイのそれと重なって、僕の視界は一気に歪み出した。 だけど、その表情がどんなに似ていても、重なっても、僕の好きだったメイはもういないんだ。
*********
  「なるほど……ね。それで、君は和田君への復讐を誓ったんだね? 」
  僕の話を相変わらず穏やかな表情で聞き終えた老刑事はそう言うと、ふっと溜息を一つついた。
  「いえ……最初は復讐なんて考えちゃいませんでしたよ? 」
  メイがいなくなってからの僕の世界、ココロはからっぽで、生きてる事さえも無意味に思えた。 何度もメイのいる場所へと行こうとしたけれど、その度に誰かに邪魔をされて結局駄目だった。 今でも右手首にはその名残が残っていて、それが目に入る度にメイへの今も変わらぬ想いが蘇る。 死ばかりを考えていた当時の僕には、和田への復讐なんて最初から選択肢になかったのである。 そして、メイの三回忌、彼女のおばさんから言われた、ある言葉が僕の意識を生へと引き戻した。
 「カケル君……君が死んだら、私たち家族の他に誰がメイの事を憶えていてあげられるの? 」
 「え? 」
 「今はまだメイの事を憶えてる人も多いけど……時間とともに記憶は薄れていくものなの」
 「おばさん……? 」
 「それは仕方ない事だけど……せめて、カケル君にだけは、メイの事憶えて生きてて欲しいの」
 「でも……? 」
 「それにね、自分のせいでカケル君が死んだって知ったら、メイは悲しむと思うのよ」
  メイを悲しませる、それはいくら彼女がもうこの世の人間でなくとも、したくない行為だった。 だからこそ、僕はメイの後を追うのをやめ、彼女との想い出を抱え、今まで生きてきたのである。
 「なるほどね……それじゃ、何故、君は―? 」
  初老の刑事は僕の話に酷く真面目な顔で頷いた後、僕をその穏やかな瞳でじっと見つめた。
 「……和田があの事故を、メイを殺した事を、何とも思ってないと知ったからですよ」
 「……それはどういった経緯で?? 」
  生を選択した僕はメイが目指していた都内の有名私立大学に入る為に、必死になって勉強した。 結局のところ、僕は生を選択してもなお、今はもういないメイの背中を必死で追っかけていた。 メイへの想い、想い出だけが僕の空っぽになった心を満たし、そして生かしてくれたのだから。 そして、僕は晴れてその大学の教養学部に合格し、そこで、アイツと、和田と出会ってしまった。無論、まだ僕はこの和田の奴が何より大切なメイの命を奪った犯人だなんて知るはずもなかった。 まるで運命が悪戯したかのように、和田は僕と同じ学部の同じ学科に所属する先輩だったのだ。 和田は当時所属していたお遊び系サークルの歓迎会と称して、僕ら新入生を夜の街へ連れ出した。 他の奴らは初めて連れて行かれた夜の街に興奮気味だったが、僕だけは何故だか妙に醒めていた。 ただ、時折チカチカと光るネオンサインが目障りな上、酷く騒がしいだけのゴミゴミした場所。 夜の街の魅力に他の奴らはみんな酔い痴れているというのに、僕だけがすっかり醒め切っていた。  多分、それは僕がメイを喪ってからというもの、ほとんど全ての感情を失くしていたからだろう。
  「……カケルぅ、飲んでるかぁ? 」
  あまり酒の進まない僕に気づいたのだろう、もうすっかり出来上がった和田が声を掛けてきた。 今になって思えば、それが今回の復讐劇のプロローグのようなものだったのかもしれない。
*********
  「実はさぁ……オレ、前に無免許でさぁ、人を殺したことあるんだぜ? 」
  サークルの歓迎会の席で、和田は少しろれつの回らない口調でそう誇らしげに僕に言い放った。
  「ええっ?マジっすかぁ? 」
  最初から僕だって酔っぱらいの言葉を信じた訳じゃない、だから微苦笑混じりにそう聞き返した。
  「おーっ、疑ってるなぁ……確かお前、F町の出身だったよなぁ? 」
  「え、ええ……? 」
  「3年くらい前、女子高生が轢き逃げされて死んだ事故、あったろ? オレ、あの加害者― 」
  「3年前、女子高生、轢き逃げ……? 」
  僕は和田の言葉のキイワードを低い声で復唱した、まさかそんなはずはないと思いたかった。
  「あ―、まだ信じてねぇな……そうそう、確かサキシマとか言ったっけ―? 」
  しかも、それをヘラヘラと酔っぱらった口調で自慢している……急に目の前が真っ暗になった。
  「ああ……まぁ、オレってばあの時は未成年でさぁ。弁護士のおかげで助かったんだよなぁ? 」
  どこか遠くの世界で和田が相変わらず自慢している、まるでノイズのように非常に耳障りな声で。 そして、僕の目の前にはひどく血まみれになって声を殺して泣いている、あの日のメイが現れた。
  「メイ……? 」
  「タケル、あたし悔しいよ……何で、何でこんな奴に未来を奪われなきゃいけなかったの? 」
  メイの声は既に未来を奪われた絶望という哀しみに染まり、僕の心にじわじわと染み込んでいく。
  「あたし、もっと生きてたかった! タケルと一緒にいたかった! 一緒の時間を― 」
  僕だってそうだよ、メイ……僕だって、ずっと、ずっと君と一緒の時間を過ごしたかったんだよ。 だからこそ、僕は君の面影を追いかけて、君が行きたかった大学に進学して、ここにこうしてる。 それだけが君のために僕が今唯一出来ることなんだって、何となく思ったことだったんだよ。 でも、君のためには ねぇ、メイ……神様って、本当に残酷すぎるよ、君の命を奪った和田が僕の隣で笑ってるなんて。 しかも、こいつは君の命を奪ったことを全然反省なんかしていないんだ、ただ自慢してるんだよ。
  神様って奴の気まぐれに対して僕は思わず唇を噛み、持っていたコップをぎりぎりと握りしめた。
  「……どした、カケルぅ。つーか、もっと飲めや? 」
  すっかりご機嫌な和田の酌を受けながら、僕の頭や心は少しずつ、少しずつある方向へ向かった。 神様も、裁判官もこいつを裁けなかった、それなら、僕自身が裁いてやる、復讐という方法で。
  「あ、はい? 」
  僕はその日から、和田の腰巾着となり、彼を慕う後輩を一年もの間演じ続けることに集中した。 はっきり言って、その演技はアカデミー主演俳優も真っ青なくらいに、上出来だったと思う。 何しろ、和田は僕に首を絞められる寸前まで、まさか僕に殺されるなんて思ってもなかったから。
  「カケルぅ、ど、うして? 」
  絶命する直前、酷く惨めな視線を僕に向けて、今さらどうでもいいような質問をしたんだから。
*********
  ねぇ、メイ……もしも、この事件の裁判で死刑判決が下されようと、僕は後悔しないから。
  君がいなくなってから、もう、僕の世界は灰色に支配され、もう何も残されてなかったんだから。
  君が僕の目の前から消えたあの日から、もう、すっかり心は空っぽで死んでいたんだから。

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