!DOCTYPE HTML PUBLIC "-//W3C//DTD HTML 4.01 Transitional//EN">
第6章

停滞する現在と加速する過去 6

 純平が修二を喫茶店に呼び出したのは、ミチルから「風花を引き取りたい」という話があった日の夜のことだった。
 「……アンタから呼び出し喰らうなんて、思ってもみなかったよ」  
 仕事場からそのまま抜け出して来たのか、多少派手なスーツに身を包んだ修二は少し疲れた口調で肩をすくめた。以前のように敵意を露わにはしていないが、やはり相変わらず彼が自分に対して悪意しかないのを、純平は理解っていた。だからこそ、来てくれたことが有り難かった。
 「ああ。悪かったな……仕事の方、大丈夫なのか? 」
 「まぁ、今日はピンチヒッターって奴で、ちょっくら顔出せば良かっただけだから。で? 」
 「……お前は知って、たんだな」  
 純平がそう口にした瞬間、修二は明らかに渋い表情を浮かべた後、低い声でこう呻いた。
 「ふん……その口ぶりだと、やっと気づいたみてー、だな」
 「ああ……俺が、殺したんだな」  
 純平は主語を言わず、そう呟いた。すると、修二が付け加えるようにこう続けた。
 「ああ。ただ、これからお前はもう一人、殺すんだよ」
 「え? 」
 「お前が気づいてるかどうかは知らねーが、アイツ、遅かれ早かれ、死ぬつもりだから。身体は生きちゃいるが、心は死にかけてるようなもん、不完全な魂の抜け殻なんだよ……ちょっとでも目を離せば、雲みてーにどっかに行っちまって、影も形もなく消えちまう。死ぬってことだけが今のアイツにとっての救いみてーなもんだから、な」
 「…………」
 「自分から……刺されたんだろ、あのバカ女に? 」
 「ああ……一時は危険な状態だったけど、今は大分回復はしてる。ただ――」
 「人形みてーだって言いたいんだろ? けど、あれが本当の今のアイツの姿だよ。アイツが刺される前までお前にどんな表情(かお)を見せてたのかは知らないけど」  
 修二は淡々とそう言うと、運ばれてきたコーヒーに手をつけた。純平は返す言葉がなかった。側にいるはずの自分よりも、離れている修二の方が風花のことを理解している。結局、自分は風花について理解っているようで理解っていない。だからこそ、風花は子どもを喪ったことを友人の修二には全て話しても、夫である自分には話さなかった。
 「スベテ、ウソ。ワタシ、ヒトリ、コドモノトコ、イク」  
 今の無表情な風花の唇がそう動くのがまるで現実の出来事のように想像できる。今までの風花の好意的な態度も何もかも、偽りだったのだろうか。訊いたとしても、きっと風花は何も答えてはくれないだろう。もう、何もかも手遅れで、このまま風花がどこか遠くへ行ってしまうのをただ見ているしかないのだろうか。純平はぐっと唇を噛み、膝頭を痛いほどに掴み、黙り込んだ。
 「今さらだけど……お前の苦しみの何倍も何十倍も、アイツは苦しんでる。不幸面、すんな」  
 修二はテーブルに自分の分のコーヒー代を置き、席を立った。純平はただ一人、残された。

<< Back   Home >>