第二章

絡まっていく糸 18

 「涼様……よく我慢しましたね」  
 翌日、やや早めの朝食を食べた後、涼と峰谷は五月家に別れを告げ、まだ朝霧の漂う街を肩を並べて歩いていた。
 「あー? 何が? 」  
 涼は世話係のその言葉に多少不機嫌そうにそう聞き返した。すると、世話係は相変わらず物知り顔で微笑みながら、こう続けた。
 「普段の涼様なら、あれだけで……いえいえ、それだけ大事ってことですよね。涼様にも随分と可愛らしい所があるなぁと思いまして」
 「ったく、我慢とか可愛らしいとか……さっきから、何の話だよ? 」
 「いや……申し上げても、絶対に、絶対にお怒りになりません? 」
 「何だよ、それ。んなに、怒らせるようなことかよ? 」
 「ええ……多分、確実に相当お怒りになるかと」
 「……なら、言わなくていいぜ。俺、今、すげー機嫌いいから」
 「おや、珍しい。普段なら、『気になるから、話せ』と仰るのに」
 「……あんだけの酒で酔い潰れるようじゃ、俺の世話係、失格だろ? あれが狸寝入りだって確信したのは、今朝のお前の様子見てからだけど」
 (ってか、本当は舞い上がってて、今朝まで気づかなかったんだけどな)  
 涼は昨夜の出来事が内心照れくさいのと、今朝まで峰谷の狸寝入りに気づかなかったという己の至らなさへの恥じらいを隠すように、左手でぽりぽりと頬を掻いた。きっと、付き合いの長い峰谷のことだ、そうした内心の動揺は気取られているだろうと涼自身よく理解っていた。それでも、それをあからさまにすることは、自身のプライドが許さなかった。
 「話は変わりますが……涼様、そろそろ、携帯の電源を入れた方が良いのでは? 」
 「あー? ああ、佐山から連絡くるかもしれねーな」  
 七世からの連絡が鬱陶しくて、祖父の家から出る時に携帯の電源を切った。何も写っていない黒い画面をどこか浮かない表情で眺めながら、涼は電源キーを押した。ふっと「Now Loading」の文字が画面に浮かび上がった後、携帯電話の会社のロゴが表示される。そして、しばらくして、画面は本体にプリセットされたままの待ち受けへ変わる。
 「……随分とメールが届いてますね」  
 画面の右上に未読メールを知らせるマークが表示されていることに、涼はふっと眉を顰めた。送り主は確認しなくても分かっている、七世だ。  
 ――リョウ 今、どこ? ――  
 ――電源切れ? 今すぐ逢いたい――  
 そんな内容の七世のメールばかりが受信ボックスに溢れていることに、涼は微かに舌打ちをした。そのメールを見るだけで、先程までの幸せな気分はいとも簡単にぶち壊された。だから、さっさと消去してやろうとしたが、七世から最後に届いたメールでその指が止まった。いや、見えない力で止められたと言っても過言ではなかったかもしれない。  
 ――メンバーから連絡あった。今から行ってくる――  
 受信したのは今朝の2時頃だった。それは何気ない内容のメールではあったが、涼は何となく嫌な予感がした。こういう時の涼の勘は嫌なほどよく当たる。
 「なぁ、峰谷」
 「何でしょうか? 」
 「今すぐ、七世の行方、追えるか? 」
 「……承知いたしました」  
 涼の顔色がふっと翳ったことに気づいたのだろう、峰谷がその理由も問わずに、七世に張り付いているらしい部下に電話をかけ始めた。そして、「そのまま、待機していろ」と部下に指示した後、渋い表情で電話を切った。
 「……涼様の勘が的中です」
 「で? 」
 「……今、七世嬢は病院のベッドの上だそうです。何でも、喧嘩で刺されたとかで」
 「……メンバーってのは、多分『プリンセス』のだよな」
 「ええ……そういえば、最近、街で『ノワール』なぞという、黒服の方々と親しいとかいう触れ込みのグループがヤバイものを売りさばいていると報告が先日ありましたが、それと関わりが」
 「あるかもしれねーな。『プリンセス』も今はただのダンスグループだけど、元を正せば、『ノワール』と同じ穴のムジナだし、『手を組もうか』なんて話はあっただろうな」
 「……しかし、七世嬢はグループを作った理亜嬢の意志を受け継いで、そういった方面には興味が無い。となると、今度はNo2を口説いて――」
 「……って、推測でモノを言っても仕方ねぇ。さっさと病院に行ってみようぜ」

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